2 言語の誕生:再説

 
       愛媛県八幡浜から臼杵行きのフェリーです。
       温泉へフェリーで向かう年の瀬かな。
   
 
 
2 言語の誕生:再説 (20140111
 道具を持ち歩くようになったヒトの集団は、その道具がヒトに対する武器として使われる可能性があることから、相互の攻撃の可能性に対してより敏感な集団となる。その中で攻撃の意志のないことを示すことは非常に重要であり、そこら挨拶などの言語が発達したと考えた。
 もちろん、これは想像で組み立てた話しにすぎ無いが、この話はもし自立した個人を前提しないで語るとするとどのように成るだろうか。
 脳は、運動をコントロールするために発生したと考えられる。群れで生活する動物では、運動を相互に調整する必要があるので、ミラーニューロンが生まれたと考えられる。主人があくびをすると犬もあくびをするそうだから、群れで生活する犬にもミラーニューロンがあることになる。言語の成立以前のヒトは、猿や犬と同じようにミラーニューロンをもつだろう。そして、それが言語の発生に関わっていなということは考えられないだろう
 このようなミラーニューロンをもつ動物の群れでは、緊張もまたミラーニューロンによって集団に伝染するだろう。もし、群れの中で、誰かが切迫した声を上げれば、群れに緊張が走るだろう。もし誰かが、ゆったりとした声を上げれば、そのくつろぎは群れに拡がるだろう。そして彼らは、くつろぎが広がっている事自体をも、おそらくミラーニューロンによって互いに知ることになる。ある発声が群れを緊張させたり、くつろがせたりすることを互いに知ることになるだろう。それが反復されると、次にはそれを意図して、それらの発声をすることになるだろう。この意図的な発声が反復することによって、挨拶などの発話が誕生するのだと想像できる。つまり、個体が自己保存のために敵意のないこと、ないし好意を持っていることを他の個体ないし集団に伝えようとして声をあげるようになる前に、まず最初は、集団の緊張の高まりを緩和しようとして、声を上げるということが行われるようになるのではないか。それが反復されることによって、次に自己保存のために集団の緊張を緩和しようとして声を上げるということが成立するのではないだろうか(全くの推測です)。
 このように考えるとき、言語は集団の問題を解決するために作られた社会制度であるといえる。しかし、この時の集団の問題は、個人では解決できない問題のことではない。なぜなら、言語の成立以前であるから、個人はまだ誕生していないからである。

 

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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