9 日本における戦後自我論の変化:冷戦中と冷戦後

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9 日本における戦後自我論の変化:冷戦中と冷戦後 (20140707)
 
明治以後の日本社会にとって、最も喫緊の問題は、
  「西洋社会にどのように対応するか」
であった。それに対する答えとして提出されたものは、大きく次の3つに分けられる。
  1、近代主義:西洋の社会制度や学問や文化を取り入れること
  2、日本主義:
  3、マルクス主義
明治以後の日本の人文社会科学は、15年戦争の前も後もこの3つの立場を追求してきたといえるのではないだろうか。(社会学や政治学での日本研究では、15年戦争前と後との連続性に注目する研究が多くなされているが、その傾向とも一致するのかもしれない。)京都学派は、西洋哲学を研究しつつも、2を再構築しようとしたといえるだろう。また1への批判は、資本主義への批判でもあり、それに対する社会構想として、ファシズムと共産主義があったと見ることもできるだろう。
 自我論に関しても、同様の3つの立場が中心になってきたと思われる。
  1,近代的主体
  2,伝統的日本的自我論
  3,マルクス主義的主体
戦後思想は、主体性論争に始まるが、そこでは戦後復興を担うべき主体のあり方について論争が行われた。現実における日本人の自我の有り様は、伝統的な日本的なものであり、それは批判的な仕方で『菊と刀』『「甘え」の構造』『タテ社会の人間関係』などに描かれた。それに対して実現するべき自我のあり様として、「近代的主体」(大塚久雄、丸山正男)や革命の担い手となるマルクス主義的な「主体性」が論じられた。
 そして、このような戦前戦後の議論の枠組みは、1989年の冷戦集結、1991年のバブル崩壊、によって大きく変化した。明治以後、西洋に追いつこうとして進められてきた近代化が経済的にはバブルの時期に達成されたこと。冷戦後、マルクス主義が力を失ったこと。バブル期にもてはやさされた日本的経営が冷戦後のグローバル化時代に通用しなくなったこと、などがその原因である。バルブル後の金融問題、財政赤字問題、高齢化問題、年金問題、など日本社会の問題を解決するモデルをもはや欧米に求めることはできなくなり、「西洋社会にどう対応するか」という明治以後の喫緊の課題そのものが、重要性を失った。そのため、従来は、西洋社会や西洋の文化の研究を最重要の課題としてきた日本の人文社会科学は大きく変わり始めている。。(これについては、以前に書庫「グローバル化のゆくへ」でどうようのことを論じました。)
 このような中で自我論もまた、1990年代以後大きく変化している。1990年以後、「自分とは何か」という「自分探し」がブームとなり、多くの自我論、自己論、が出版されている。このような1990年以後の自我論にあらわれた新しい論点として目につくのは、多元主義物語論である。
 この二つの論点は、日本に登場した思想というよりも、欧米で登場し日本に輸入されたものというべきかもしれない。それにしてもなぜこの二つの論点が、冷戦後の世界や日本で重要な論点になったのだろうか。それに対する一つの解答案は次のようなものである。
 
size=”3″> 冷戦後の世界ないし日本社会にとっての喫緊の問題は何だろうか。それはおそらく、
  「私たちは、グローバル化にどう対応するべきか」
という問いであろう。この問いの「私たち」とは誰のことだろうか?
 この問いの「私たち」が日本国や日本国民であるならば、「日本は、グローバルな国際競争に勝ち抜くにはどうすべきか」という問いになり、これまでと同様に、そのためには「国民総動員が必要だ」というような回答がなされるだろう。この場合、「グローバル化」は、黒船のように外からやって来るものとして理解されている。
 この問いの「私たち」が、国家を離れた個人や、地球市民であるならば、「私たちは、グローバル化をどのような方向に進めるべきか」と問うことになるだろう。あるいは、グローバル化をグローバル資本主義と狭く取るならば、「私たち市民は、資本主義のグローバルな展開にどう対応するべきか」となるだろう。
 「私たち」の社会にとっての喫緊の問題のこのような多義性、多元性が、冷戦後の社会や「自我」の多元化の原因ないし理由であると思われる。
 ただし自我の多元化については、大衆消費社会と関係付けた説明も提案されている。次にそれを検討しよう。(物語論については、さらにその後で考察したい。)