10 訂正:「調和」と「保存拡大」 (20200507)

前々回(8)での記述に誤りがあったので、訂正します。

そこでは、「もしある論理的語彙の導入規則と除去規則を連続して適用したときの結果が、その論理的語彙を使用しないで推論できるものであるとすれば、その論理的語彙は、その他の語彙や文の意味を変更していないということである。」と述べ、「ヌエル・ベルナップは、このような導入規則と除去規則を「調和」していると呼んで、論理的な規則の設定の恣意性を制限しようとした。」

と述べました。その後N. Belnapの Tonk, Plonk, and Plink(Analysis 22 (1962): 130-134)読み直して、その論文に’harmony’(調和)が使用されていないことに気づきました。Belnapは、そのような論理的語彙の性質に「保存拡大」(conservative extension)という表現を当てていました。私はこれまで「調和」をベルナップが導入した用語だと思い込んで講義したことがあり、また論文にもそう書いたことがあるだろうとおもいます。ここで訂正し、お詫びいたします。Belnapの論文を読んでいたにもかかわらず、彼が「調和」と名付けたと勘違いしていた原因をこの数日調べていたのですが、おそらくDummettがLogical Basis of Metaphysics (Harvard UP, 1991, p. 246)で、Belnapが、論理法則への制約の一つは’harmony’であるとしていた、と書いていたことが、私の勘違いの原因になったのだと思います。このharmonyは、Belnapが考えていた「保存拡大」よりも少し広い概念です。Dummettは、「調和」と「保存拡大」の違いをよく分かっているのですが、その上で、その本のそこの文脈では、特に区別しなくてもよい、と考えたのだとおもいます。

前々回(8)と前回(9)に紹介した「調和」という語は、すべて「保存拡大」の間違いです。

意味は変化しません。つまり、ある語彙の導入規則と除去規則を設定して、導入規則でその語彙をしようし、次の除去規則でその語彙を除去するとき、その結果生じる推論が、その語彙やそれらの規則を使用する以前の語彙と推論規則で導出できるものであるとき、その語彙の導入規則と導出規則は、「保存的」である、あるいは「保存拡大」である、とBelnapは考えています。

 ダメットは、Frege Philosophy of Language (Harvard UP, 2nd ed.1981, p. 396)で「調和」をつぎのように説明しています。言語の意味は使用であるが、どんな使用方法でも良いのではない。文の使用には2つの側面がある。一つは、文の発話が適切なものになる条件であり、もう一つは発話の帰結である。この二つが「調和」することが、使用方法の条件となると、ダメットは言います。言い換えると、ある語彙を使った文の上流推論を行うことと、下流推論をおこなうこと、という二側面があり、今仮に問題の文をpとし、その上流推論をr┣p(前提が複数の文からなるとしても、それを連言で結合して一つの文にすることができる)とし、下流推論をp┣sとするとき、この二つの推論からr┣sが成立する。このrとsが「調和」することが、言語の正しい使用方法であるための条件であるというのです。rとsが調和するとは、もっとも緩い意味では、rとsが矛盾しないことでしょう。これは、文の使用の整合性が求めることです。しかし、それ以上のこともいえるかもしれません。この調和の「一般的特徴づけ」を語ることは困難である、とダメットは言う。ただし、(論理学のような)単純なケースでは、ベルナップのいう「保存拡大」だと言える(cf. Ibid. p. 397)、と考えています。

 ダメットは、言語使用のための条件を「調和」と呼んでおり、単純なケースでは、その「調和」は「保存拡大」として規定できるが、複雑な場合には一般的な仕方で条件を述べることが困難だと考えています。つまり複雑な場合には、保存拡大という条件を充たさなくてもよいが、しかし「調和」は満たさなければならない、と。

 では、ここで元の道筋にもどって、「保存拡大」でない語の場合を考えてみましょう。例えば、「リンゴ」という語の使用は、非保存拡大でしょうか?「忖度」はどうでしょうか?