14 保存拡大の語彙による事実の明示化 (20200514)

(これまでの話をまとめよう。06回以後の議論をまとめよう。論理的語彙と疑問の語彙は、拡大保存であり、その他の語彙の意味を変えないので、その他の語彙の意味の分析に利用できる。

(自然数論と幾何学の語彙が保存拡大であるかどうかは、ペンディングにして)科学の語彙や日常語は(少なくともその一部は)非保存拡大である。)

 ここでは、表現の意味の明示化に利用できる論理的語彙と疑問の語彙は、同時にまた事実の明示化に利用できることを示したい。

 推論関係によって表現の意味が明示化したり、確定したりできるのは、推論関係が、表現の意味を変えないからである。もし推論関係が表現の意味を変えてしまうとすれば、それによって表現の意味を明示化することはできないだろう。問答によって表現の意味を明示化できるのは、問答が表現の意味を変えないからである。

 論理的な語彙の使用が、他の語彙の意味を変えないとすれば、他の語彙による事実の記述の意味だけでなく、事実の記述の真偽にも影響を与えない。それゆえに、論理的推論は事実の分析に役立つ。事実の論理的分析によって得られた命題(つまり事実についての記述から推論して得られた命題)もまた事実の真なる記述であり、事実を表現している。

 ところで、論理的な語彙の使用が、他の語彙の意味を変えず、それらを持ちた表現の意味の明示化が可能になる、ということは証明できたとして、では実際に表現の意味を明示化することはどのように行われるのだろうか。たとえば、しりとりは、語の意味を変えないゲームである。しかし、しりとりをしても語の意味が明示化できるわけではない。同じように、

  p⊃r、p┣r

という推論は、pやrの意味を変えない。それゆえにこそ、pやrには任意の文を代入できる。しかし、このような推論は、pやrの意味を何ら明らかにしない。

では、推論が表現の意味を明示化できるのはどのような場合だろうか。「これはリンゴである」の導入規則(上流推論)と除去規則(下流推論)で考えてみよう。

これはマッキントッシュである┣これはリンゴである。

これはイブがエデンで食べた果物である┣これはリンゴである。

  これはリンゴである┣これは果物である

   これはリンゴである┣これはバラ科の高木の実である。

これらの推論によって、「これはリンゴである」の意味は明示化される。これらの推論は、ブランダムが実質推論と呼ぶものであり、これらの実質的推論を学習することが語「リンゴ」を学習することであり、これらの実質推論によって意味が明示化されている。

 これらの前提と結論には、論理的語彙(論理結合子)は使用されていないが、推論関係を示す「┣」を「ので」で表現すると次のようになる。

これはマッキントッシュであるので、これはリンゴである。

これはイブがエデンで食べた果物であるので、これはリンゴである。

  これはリンゴであるので、これは果物である

   これはリンゴであるので、これはバラ科の高木の実である。

推論は条件文に言い換えることができるが、実質推論の場合、この条件文が真であることは、語の意味に依存する。言い換えると、語の意味がこの条件文で表現されている。論理的語彙「ので」をもちいたこれらの条件文は、「これはリンゴである」の意味を明示化している。

 推論の前提や結論の中で論理的語彙が使用される場合にも、それらは意味の明示化に役立つ。次のような場合である。

    AはBの西にあり、かつ、BはCの西にある┣AはCの西にある。

    AはBより硬い、かつ、BはCより硬い┣AはCより硬い。

 この推論は、「かつ」の意味だけに依存するのではなく、「の西にある」や「より硬い」の意味に依存している。

 これらの推論の中の論理的語彙は、その他の表現の意味を変えることなく、実質推論においてそれらの意味を明示化するのに役立っている。日常生活における言語使用の多くはこのような推論になっている。

 ところで、このような実質的推論は、意味を定めたり意味を明示したりしているだけでなく、同時に対象や事実を明示している。

これはマッキントッシュであるので、これはリンゴである。

とうい条件文は、「マッキントッシュ」と「リンゴ」の関係を明示化するだけでなく、対象<マッキントッシュ>と対象<リンゴ>の関係を明示化している。「ので」を用いても、もとの語の意味や指示対象に変化を与えないことから、二つの対象が、類と種の関係にあることが明示化されている。

    AはBより硬い、かつ、BはCより硬い┣AはCより硬い。

という推論は、「より硬い」という述語が推移性をもつことを明示しているだけでなく、関係<より硬い>が推移性をもつことを明示している。「かつ」を用いても、もとの表現の意味や真理値に変化をあたえないことから、<より硬い>という事実的関係が推移性をもつことが明らかになる。

 このように保存拡大の語彙を用いることで、意味の明示化だけでなく、対象や事態の明示化が可能になる。そうすると、非保存拡大の語彙を用いても、意味の明示化ができないだけでなく、対象や事態の明示化もできないことになるのだろうか。そうではないだろう。なぜなら、科学研究でも日常の探究でも、私たちは非保存拡大の語彙を用いてそれを行っているからである。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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