04 他者の行為を禁止するとはどういうことか? (20200608)

[カテゴリー:問答の観点からの権利論] 

ある対象Xを所有することは、少なくとも次の3つを含む(あるいは、次の3つを結論とする3つの下流推論をもつ。)

  ①Xを自由に使用できる。

  ②Xを自由に処分(加工、売却、廃棄、破壊、など)できる。

  ③他者がXを使用したり処分したりすることは、禁止されている。

この中の最後の部分についても、問答の権利として説明できるのかどうかを検討しよう。

 (所有権の場合に限らず)権利があれば、その権利を侵害してはならないという義務が発生している。そして、(道徳的な義務の場合はさておき)法的な義務の場合には、義務違反に対して法的な罰が与えられる(法的に禁止されている)。ところで、他者がXを使用したり処分したりすることは、①と②の権利の侵害である。ゆえに、他者がXを使用したり処分したりすることは、義務違反であり、法的な罰が与えられる(法的に禁止されている)。ここで、禁止したり、禁止できたりするのは、私ではなく、社会である。それゆえに③は、私がする行為ではない。私がすること、あるいはできることは、他者が①や②を侵害したときに、警察や裁判所に訴えることである。③は、①と②の権利命題から帰結する。

 仮に警察や裁判所がない社会であるとしても、権利が成立している社会であれば、その侵害が生じたときに、侵害した者を罰っしたり、保障したりする何らかの仕組みがあるはずである。もしそれがないのならば、その社会で、その権利があるとは言えないだろう。例えば、Xの所有権をもつということが、たんにXをある時点で占有しているということと同じことになってしまう。

 Xについての所有権の侵害が発生している可能性がある時には、所有権を持つ者は、「Xをどうするのか?」「なぜそうするのか?」という問う権利(同じことだが、問いかつその答えを求める権利)をもつ。所有権の侵害が明白であるときには、Xの返還や保障を求める権利が発生する(この権利についても、問答の権利として説明できるが、それについては後にする。)

 以上によって、プライバシーへの権利と所有権を問答の権利に還元できると言いたいのだが、もう少し明確にするためにも、次に、これらの議論を権利一般についての議論へ拡張したい。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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