[カテゴリー:問答と懐疑]
前回の最後に次のように述べた。
<ローカルな懐疑主義が可能であるためには、
「原理的に答えを持たない問いが存在する」
と主張できなければならない。しかし、ミュンヒハウゼンのトリレンマによるとどのような主張についても、それを疑うことが可能である。そうすると、「原理的に答えを持たない問いが存在する」を主張できない。>
しかし、同じことが次の主張についても言えるだろう。
「原理的に答えを持たない問いは存在する」
この主張もまた疑うことが可能である。そうすると、「原理的に答えを持たない問い」については、それが存在するとも存在しないともいえないことになる。
この場合、問いQ1「原理的に答えを持たない問いは存在するのだろうか?」に対する答えは、A1「いいえ、原理的に答えを持たない問いは存在しません」となる。ところが、Q1に対する答えA1が存在するならば、それはA1の内容と矛盾する。
グローバルな懐疑主義の主張が困難であるだけでなく、ローカルな懐疑主義の主張も困難であるように思われます。