[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]
第2章「問答関係と発話の意味――問答推論的語用論へ向けて(1)」は、文の意味ではなく、ある文脈において現実に行われる発話がもつ意味について、問答の観点から説明します。
第2章の2.1「文と命題内容と発話の違い」は3つに分かれています。
まず2.1.1で、第1章では触れなかった、文の意味、命題内容、発話の意味などの区別について説明します。 文は、文脈を入力として、それに応じて異なる意味を出力する関数だと見なすことができます。そこで厳密には「文の意味」とはこの「関数」のことであり、文脈に応じて出力される意味を「命題」ないし「命題内容」と呼ぶことにします。(この命題内容には2.2で扱う「焦点」は考慮されていません。その点で「命題内容」は「発話の意味」とは区別されます。これについては次回説明します。)
次に2.1.2で、関数についての考察を挿入しました。関数は推論規則であり、それゆえに問答と関係しています。そこで、関数について「機械的に使用すること」と「選択して使用すること」に区別し、それに応じて推論も二種類に区別しました。ところで、言語表現を使用するとは、その表現が持つ複数の関数から一つを選択することであり、一つの関数にコミットすることです。ここに言語表現の理解とコミットメントの区別が生じます。
2.1.3では、(第1章では、発話がコミットしている意味(命題内容)を、問答推論関係として説明しましたが)、命題内容にコミットするとはどういうことかを説明しました。
命題「これはべジマイトである」を理解することと、この命題にコミットすること(この例では命題の真理性を主張すること)は、別のことです。つまり、命題を理解することと命題にコミットすることは別のことです。では、命題にコミットするとはどういうことでしょうか。これに答えるために、まず、語句の意味と指示対象の区別、および意味の理解と指示へのコミットメントの区別は、すでに問いにおいて暗黙的に行われており、問答関係において明示化されるということを示しました。次に、語の意味から文の意味がどのように合成されるのか、といういわゆる「合成の問題」(デイヴィドソンのいう「述定の問題」)を「語の使用におけるコミットメントを結合することによって、どのようにして文の発話によるコミットメントが成立するのか」という問いとして捉えて、次の答えを提案しました。
<文未満表現の使用におけるコミットメントの結合は、問いへのコミットメントと答えへのコミットメントの結合となるときに、命題内容へのコミットメントとなる。>
この提案は、<命題は潜在的には問答によって構成されている>という提案になります。例えば、
「次のアメリカ大統領はバイデンになると思います」
という命題へのコミットメントは、
「次のアメリカ大統領は誰になると思いますか?」
「バイデンになると思います」
という暗黙的な問答によって成立するということです。