09 第3章の見取り図 (3) 問答の不可避性 (20201110)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

「3.3 言語行為の不可避性」では、これらの言語行為がそもそもどうして可能なのか、どうして成立するのかを考察しました。その答えは、ある種の「不可避性」によって、成立するということです。

 まず、全ての発話は、暗黙的に質問であることを説明しました。すべての発語が、暗黙的に依頼(質問)であるとすると、すべての発話は聞き手に何らかの選択を求めていることになります。発語は、聞き手の選択を可能にするだけでなく、選択を迫り、選択を不可避なものにします。

 次に、この選択の不可避性が、指示を可能にすること、指示を不可避なものにすることを説明しました。ある発話が問いの答えとして発話されるとき、それに含まれる指示詞や確定記述のような表現は、対象を指示できるというだけでなく、むしろ対象を指示しないことはできないことはできません。このような対象の指示の不可避性が、指示を成立させるのです。

 次に、この種の伝達の「不可避性」がグライスの言う「協調の原理」で説明できることを示しました。「協調の原理」とは次のようなものです。

「会話の中で発言をするときには、それがどの段階で行われるものであるかを踏まえ、また自分の携わっている言葉のやり取りにおいて受け入れられている目的あるいは方向性[または問い]を踏まえたうえで、当を得た発言を行うようにすべきである」(Grice 1989: 26, 訳37、[ ]内は引用者の付記)

この「協調の原理」は、第3章で「会話の含み」の説明で述べたように、破ることができるのですが、しかし破ったとしても、破ることによってある意味を伝えようとしているのだと(「協調の原理」に則って)理解されてしまいます。つまり「協調の原理」は不可避的に私たちに迫ってくるのです。このことが、伝達の不可避性を成立させ、さまざまな言語行為を不可避的に成立させます。

 最後に、この「協調の原理」の不可避性の成立の前提になっているのが、問答の不可避性であることを説明しました。未開の民族の人間に出会ったとき、私たちは「協調の原理」が成り立つことを前提できないのですが、しかしそのような状況でも、それぞれの振る舞いが問いかけとそれに対する答えとなってしまうことは、想定できます。つまり、問答の不可避性は、想定できます。

 こうして、言語行為は最終的には問答の不可避性によって説明出来るでしょう。