27 意識的問いと無意識的問い  (20210120)

ダマシオを少し離れて、意識ないしイメージの発生について考えてみよう。

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

まず、問いの意識の答えの意識について考えてみよう。

#問いを意識するとき

私たちは、意識せずに何かを問うていることがある。例えば、自分のコーヒーカップをつかおうとするとき、「私のコーヒーカップはどこかな?」と問いながら、食器棚を探す。あるいは、「コーヒーカップは机の上にあったかな?」と問いながら、机の上を探す。このときに、コーヒーカップがすぐに見つかれば、私は、その問いを問うたことを意識することはなく、またその答えも意識しないということがあるだろう。

#では、問いを意識するのはどのような場合だろうか。

①問いを意識する一つの場合は、問いに答えることができないときである。問いに答えることができないとき、問うていることを意識する。これは、<行為がうまくいかないときに、行為していることを意識する>という一般的な事柄の、特殊ケースである。

②問いを意識するもう一つの場合は、ある問いに答えようとして答えることができないので、それの答えを見つけるために、別の問いを立てるときである。このときこの「別の問い」を私たちは意識する。

#では、問いの答えを意識するのは、どのような場合だろうか。

①意識的に立てた問いの答えを得たときには、私たちは、その答えを常に意識している。

②無意識的に立てた問いの答えを得たときには、大抵は、それを意識しない。

③しかし、その答えが、他の意識している命題と衝突するとき、私たちは、その答えを意識するだろう。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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