43 茂木氏の「意識論」  (20210224)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

茂木は、『脳とクオリア』の第6章で「意識」について次の3つの仮説を設定します。

「①脳の中のすべての物質的過程のうち、意識や心の問題を考える上で意味があるのはニューロンの発火のみである。」159

「②脳幹からの上行性網様体賦活系の投射により、大脳皮質のニューロンの発火レベルが制御される。発火頻度があるしきい値を超えた時に意識が生じる。」(茂木健一郎『脳とクオリア』日経サイエンス社、190)

「③意識は、心の中の表象=要素を統合する一つのシステムである。脳の中の神経回路網におけるニューロンの発火が一つのシステムとして成立するための条件は、ニューロンの発火が、相互作用連結性において、単連結(一つにつながる)ことである。」(同書190)

仮説①は、「認識のニューロン原理」(=「私たちの認識は、脳の中のニューロンの発火によって直接生じる。認識に関する限り、発火していないニューロンは、存在していないのと同じである。」(同書35))を意識に応用したものです。もし①を「意識のニューロン原理」と呼ぶならば、それは「認識のニューロン原理」よりもより基礎的なものであるかもしれません。

仮説③は、「認識におけるマッハの原理」(=「認識において、ニューロンの発火が果たす役割は、そのニューロンと同じ瞬間に発火している他のすべてのニューロンとの関係によって、またそれによってのみ決定される。」(同書、77))を意識に応用したものです。

茂木は、この3つの仮説を前提した上で次の二つの問題に答えようとします。

「①ニューロンの発火が、どのような条件を満たした時に、そこに「意識」が宿るのか(意識の時間的範囲)

 ②脳の中の解剖学的部位(ニューロンからなる回路網)のうち、どの部分集合に「意識」が宿るのか?(意識の空間的範囲)」(同書190)

問題①への茂木の答えは、つぎのようなものです。

「意識」というシステムが成立するためには、脳全体にわたるような相互作用単連結なニューロンの発火が存在することが必要なのである。」(同書196)

ただし、これは意識が発生するための必要条件であって、十分条件ではありません。

「ニューロンの発火が相互作用連結になるという条件は、必要条件に過ぎない。」(同書204)

私たちの脳の中のニューロンの発火が、「意識」をもつためには、これに加えて、「その相互結合が複雑で豊かな構造を持っている」(同書204)が必要であると言われます。ただし、その「複雑で豊かな構造」がどのようなものであるべきかは、説明されていません。

問題②への茂木の最終的答えは、上記の仮説②と関係していると思われますが、次になります。

「意識的な認識に関与すると結論付けられるのは、大脳、海馬領野、および視床だ。」202

以上の説明では、専門外の私は教わることばかりです。

ただし、茂木のこのような議論で気になる点は、茂木が

  睡眠状態=意識のない状態

  覚醒状態=意識のある状態 

と見なしている(同書193)ことです。

ダマシオは、『意識と自己』で「覚醒状態=意識状態」とすることに反対していました。なぜなら、ダマシオは、夢を見ている状態を、意識のある状態とみなしているからです。ダマシオ似れば、また逆に、目覚めていながら、意識がない神経疾患があり、「有機体の基本的ニーズに合致する刺激に対しては低いレベルの注意が向けられている。だが、意識は存在していないかもしれない。」(『意識と自己』田中三彦訳、講談社学術文庫、123)からです。

またもし動物一般に拡張して検討するならば、睡眠と覚醒の区別は、非脊椎動物でも神経組織を持つ動物にはみられるが(ヒドラ、ショウジョバエ)が、それらは覚醒していても、意識を持っているとは言えそうにない、と言うことがあります。(人間のようにレム睡眠とノンレム睡眠の区別が脳波ではっきりと確認できる動物は、脊椎動物の中でも、鳥類と哺乳類だけのようです。では、覚醒中の鳥類と哺乳類は、意識を持っているといえるのでしょうか。それを言うためには、「意識」についての明確な定義が必要です。「意識」があるかないかを自明視することはできません。)

(注:ヒドラは、神経細胞を持つが、中枢神経システム(脳)を持たない動物ですが、そのヒドラにも睡眠と覚醒の区別があるようです。

「睡眠の一般的な特徴として、「可逆的な行動の静止」、「感覚機能の低下」、「睡眠恒常性」が挙げられます (図3)。「可逆的な行動の静止」は睡眠中に動かなくなるものの昏睡状態ではなく、刺激によって覚醒状態へ回復することを意味します。いくら深い眠りに落ちていても、叩き起こされれば目が覚めるということです。ただ、睡眠中には「感覚機能の低下」が見られ、穏やかな刺激で覚醒に転じることはありません。「睡眠恒常性」とは、動物にとって必要な睡眠量が決まっていることを意味します。必要量が予め決まっているために、断眠させるとその後にリバウンド睡眠が生じます。これは、夜更かしすると次の日の朝に起きられないことと同じです。私たちは、これら 3 つの特徴を持つ状態がヒドラに存在するのかを検証しました。」(金谷 啓之、

https://www.sci.kyushu-u.ac.jp/koho/qrinews/qrinews_201208.html )

金谷氏のこの研究の優れたところは、睡眠を3つの特徴で定義したことにあると思います。)

もう一つの不満点は、次です。茂木氏は、人間の場合だけを考えており、しかも、人間が意識を持っている場合と持っていない場合の区別は、主観的には明白であって、主観的なその違いがある場合に、脳状態が、あるいはニューロンの発火状態がどのような違いを持つのか、ということを説明しようとしています。茂木氏は、意識がある状態と意識がない状態の区別は、ほぼ自明であると考えているのだと思われます。

「主観的には、「意識」があるか、ないかという二つの状態の間のコントラストは劇的である。何しろ、「意識」がないときには、「私」は「そこにいない」のだから」(同書180)

茂木氏がいうこの区別は、「いま意識があるだろうか」「ある」というような自問自答をする場合の、区別であるよう見えます。この区別は、「自己意識」がある場合と、ない場合の区別といってもよいのではないでしょうか。しかし、意識は、自己意識がなくてもあるかもしれません。意識と自己意識を区別するとき、意識がある状態とは、どのような状態なのでしょうか。

「いま私は意識を持っているのだろうか?」と自問するときには、常に答えは、「意識を持っている」となるでしょう。なぜなら、その問いは意識的に立てられているからです。確かに、意識的に自問している時には、つねに意識を持っている、と言えるでしょうが、しかし逆に、意識を持っている時には、常に意識的に自問しているとは限らないのではないでしょうか。では、意識を持つ状態とは、主観的にどのような状態なのでしょうか。私には、それは、茂木氏が想定しているほど、自明なことではないように思えます。