01認識についての問答の区別 (20210424)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

このカテゴリーでは、問答の観点から認識を考察し、認識論の伝統的な問題に問答の観点から答えることだけでなく、認識についての新しいアプローチ、つまり新しい問題設定を目指したいとおもいます。論じたいトピックは、以下のようなものです。

・問答と知覚

・問答と知覚報告

・問答と観察命題と理論命題

・問答と科学研究

一般的に、認識に関する問答は、次の三つのレベルに区別できそうです。

レベル1(問答としての現象的認識):現象的認識は、問いに対する答えである。現象的認識は問答として成立する。例えば次のような問答になります。

  「この花は何色ですか?」:「黄色です」、「この花の色は黄色です」

レベル2:(問答としての理論的認識):現象的認識についての「なぜ」の問いと答えは、理論的認識を構成する。例えば次のような問答になります。

  「なぜ、この花の色は黄色なのか?」:「なぜなら、この花は、カロチンをたくさん含むからです。」

(ここでの「現象的」と「理論的」の区別は、カルナップによる区別を念頭においたものです。いずれ説明します。)

レベル3(問答としての認識論)認識論は、認識についての問いに対する答えである。認識論もまた問答として成立する。例えば、「私はこの花の色を黄色だと認識している」という現象的認識について言えば、次のような問いになります。

 「なぜ、私はこの花の色を黄色だと認識しているのか」

通常の問いの答えは、命題になりますが、「なぜ」の問いの答えは、一般的に推論となります。「なぜpなのですか?」という問いへの答えは、「…ゆえに、p」という推論形式をとります。そして「なぜ」の問いは、出来事の原因を問う「なぜ」と、行為の理由を問う「なぜ」と、主張の根拠を問う「なぜ」に区別できます(これについては、『問答の言語哲学』120-124で説明しました)。それゆえに、ここでの認識についての「なぜ」の問いも次の3つの意味に区別されます。

①<私はこの花の色を黄色だと認識している>という出来事ないし状態の原因を問う「なぜ」

この場合の答えは、「光が網膜にはいって、視神経を刺激して…、ゆえに、私はこの花の色を黄色だと認識している」という仕方で認識の原因の説明をおこないます。この問答は、「自然化された認識論」を構成します。

②<私はこの花の色は黄色だと認識する>という行為の理由を問う「なぜ」

 「私はこの花とあの花が同じ品種に属するものかどうかを知りたいゆえに、この花の色は黄色だと認識する」という仕方で、認識行為の理由の説明を行います。この問答は、「実践的な認識論」あるいは「プラグマティックな認識論」を構成します。

③「私はこの花の色は黄色だと認識している」という主張の根拠を問う「なぜ」

 この場合の答えは、「この花の色は、黄色である。私はこの花の色を黄色だと考えるゆえに、私はこの花の色を認識する」と言う仕方で、認識の主張の根拠を説明します。

 この問答は、「論理的な認識論」(この呼び方にはまだ迷いがありますが、とりあえずこうしておきます)を構成します。

認識論についての議論は錯綜しがちですから、とりあえず以上の区別を踏まえて、最も身近な認識である知覚と知覚判断の考察にとりかかりたいと思います。

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