16 言語の起源と問答 2 (20210407)

【カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

人間の言語活動にあって、動物の言語にないものは何かと問われれば、語による指示、伝達意図、問答関係、などを挙げることができるでしょう。チンパンジーに指示ができないことについては、次を参照してください(http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/nikkei/42-2016-03-06.html )『関連性理論』のスペルベル&ウィルソンならば、動物は伝達意図を持たないと言いそうです。

#では、この伝達の意図の認識は、どのように生じるでしょうか。言葉を話すということは、何かを伝達しようとすることです。それゆえに、単なる発声ではなく、言葉を話しているとわかれば、それが伝達意図をもつと想定できます。

 ただしこれは、すでに言語が成立している社会でのことです。いまだ言語が一般的でない社会では、相手の伝達意図の認識は、どのように生じるのでしょうか。こちらからの問いかけに対して、相手の発声があるとき、相手の発声は何らかの伝達意図をもっているのかもしれないと推測できます。(ここで、相手の発声の伝達意図を推測できる者は、すでに伝達意図についての概念を持っていなければなりません。)

#伝達意図の条件

普通は、他者が自分を喜ばせようと意図していることを知って、人は嬉しくなるでしょう。しかし、その他者がストーカーであれば、彼・彼女が自分を喜ばせようと意図していることを知っても、その人は嬉しくなりません。<Aを実現しようという意図を知らせることによって、Aが実現する>ということが成り立つための条件は何でしょうか。

 AがBを喜ばせようと意図1するとしましょう。このAの意図1を知って、Bが喜ぶのは、どのような場合でしょうか。BがAをストーカーだと思っている時には、BはAの意図1を知っても不快に感じるでしょう。AがBを喜ばせようと意図するとき、AはBを喜ばせることができると信じています。しかしBは、「AはBを喜ばせることができる」とは思っていません。ここでは、意図の前提を共有していないので、Aの意図を伝達しても、「喜ばせよう」というAの意図は実現しないのです。

 威嚇についても同様です。多くの場合、AがBを威嚇しようとする意図を伝達するだけで、Bは怖れを感じて、威嚇しようとするAの意図は実現します。しかし、この場合にも、そうなるためには、Aの意図の前提「AはBを威嚇できる」をBもまた共有している必要があります。それを共有していなければ、BはAの意図を知っても、怖れを感じないでしょう。

 意図の伝達が意図の実現になるためには、意図の前提を共有していなければなりません。<意図の前提の共有>は、意図の伝達が意図の実現になるための、必要条件です。(では、十分条件はなにでしょうか。)

 スペルベルとウィルソンは、相手を喜ばせようとする意図は、その意図が伝わるだけで相手を喜ばせることになり、相手を脅迫しようとする意図は、それが伝わるだけで相手を脅迫することになる、と語った後で、次のように続けます。「このような可能性が例外的にではなく、常に利用される類の意図がある。すなわち、情報を伝えようとする意図は一般的にそれを認識可能にすることで達成されるのである」 (スペルベル&ウィルソン『関連性理論』内田聖二他訳、研究社出版、25)

 ここでは、情報意図は、つねにそれを伝達することで実現する、と言われています。情報意図が、伝達されることで実現することは、次のように説明出来ます。

①話し手Sが、聞き手Hにpを信じさせようと意図1(情報意図)して、pと話すとしよう。

②Sが、意図1をHが認知することを意図2している(意図2は、意図1を伝達しようと意図している伝達意図である)

③Sは、Hが意図1の認知にもとづいて、pを信じることを、意図3する。

情報意図が伝達されることで実現するのは、この③による、と考えられています。しかし、③の意図が実現するには、聞き手が、話し手の知的な能力と誠実性を信頼していることが必要です。<知的な能力と誠実性への信頼>は、集団生活の中で育まれるものでしょう。<知的な能力と誠実性への信頼>のない集団では、言語は発生しないでしょう。そしてそのようなヒトの集団は人類の進化のプロセスにおいて淘汰されるでしょう。<知的な能力と誠実性への信頼>は、グライスの「協調の原理」、デイヴィドソンの「寛容の原理」に似たものです。

 ところで、問答関係の不可避性は、「協調の原理」や「寛容の原理」よりも、より基礎的なものであると考えます(『問答の言語哲学』「3.3.4問答の不可避性」を参照)。問答関係の不可避性と伝達意図の関係を次に考えたいとおもいます。