20 原-概念について  (20210607)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

動物の知覚にもゲシュタルトがあると思われます。たとえば、光に向かう走性をもつ動物は、光の方向を知覚しています。光の方向は、ゲシュタルトであり、その動物にたいして、光ないし環境は、光源の方向に向かうことをアフォードしています。光の有無やや光の方向を知覚するとき、光の有無や光の方向という区別(原概念、分節化)が環境に内在しています。これは、物理現象であり、物理的な状態、性質、出来事である。カエルには、ハエを見たときに発火するニューロン・クラスタ-があることが知られています。それが発火した時、カエルは、無条件反射で舌を伸ばしてハエを捕まえます。カエルはハエをみたとき、その視覚刺激をハエのパターンとして認識しているのです。そしてそのハエの存在は、カエルに対して舌を伸ばすことをアフォードします。ところで、このような動物の走性、無条件反射、条件反射、オペラント行動は、物理的現象に反応していると言えるでしょう。

#このような物理現象は、言語が発生する前から存在しますし、それらのゲシュタルトやアフォーダンスの知覚もまた、言語の発生する前から存在するでしょう。そして、物理現象(光、ハエ、など)の定義は、語「光」「ハエ」の定義と同時に成立します。多様な物理現象のなかで、どの物理現象が定義されるのかは、それに対応する語の定義の有用性に依存するでしょう。

ノエは、知覚は原-概念的であるといいます。ノエによれば、知覚は、感覚運動的技能であり、「私が提案したいのは、感覚-運動的技能を、それ自身概念的、あるいは「原-概念的」な技能として考えるべきだということです(アルヴァ・ノエ『知覚の中の行為』門脇俊介、石原孝二監訳、飯島裕治、池田喬、吉田恵吾、文景楠訳、春秋社、299)。

「例えば、感覚-運動的な「概念」とは、明らかに、言語を持たない動物や幼児も所有しうるような種類の技能なのであって、そうだとすれば、動物からの議論〔つまり、動物が知覚はしているが、概念を持っていないという議論〕は支持を得られないだろう。」(同訳299)

知覚(原-概念)は、知覚報告(命題)を正当化できます。しかし、逆に、知覚報告を含むどのような命題も、知覚(原-概念)を正当化することはできません。そもそも、知覚を正当化するということは意味をなしません。

 t0時のある知覚1がp1「これは白い」を正当化し、その後t1時の知覚2がp2「これは青い」を正当化するとき、p2は、p1とは両立しないので、p2から¬p1が帰結します。p1が否定されることによって知覚1が否定さます。つまり、p1は錯覚ないし幻覚であったことになります。

 とりあえず、物理現象がもつ原-概念と知覚判断の概念の関係をこのように説明できるのではないかと考えました。まだあいまいな部分が残っていますので、それを詰めながら、このような理解でよいのかどうか、検討したいと思います。