24 肯定的知覚報告は事実の記述であり、否定的知覚報告は事実の記述ではない (20210620)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

否定的知覚報告が事実の記述であるとすると、それが記述する「否定的事実」を認めることになりますが、それは不都合なので、否定的知覚報告は事実の記述ではないとします(この場合、否定的知覚報告を、他の知覚報告からの推論によって成立するものとみなすのが、通例です。ただし、以下に述べるように私は別の説明をとります)。そして、「肯定的知覚は事実の記述であり、否定的知覚報告は事実の記述ではない」と主張したいと思います。

 この主張に対しては、次の批判があるでしょう。これは語の学習プロセスからの批判です。語「リンゴ」を学習するときには、ある対象について、「これはリンゴですか」と問われたら、「はい、リンゴです」あるいは「いいえ、それはリンゴではありません」と答えることを学習し、それを重ねた後で、未知の対象について「これはリンゴですか」と問われたときに、「はい」ないし「いいえ」を正しく答えられるようになるのです。つまり語「リンゴ」を学習するとは、「それはリンゴです」や「それはリンゴではありません」という知覚報告ができるようになることです。このとき「それはリンゴです」と「それはリンゴではありません」との間に、知覚との関係において差異はないように見えます。(前回述べたラッセルによる冒頭の主張に対する批判も、この批判に似たものです。)

 さて、ここからが本日の眼目です。

 確かに、この二つの知覚報告の間には、知覚との関係において差異がないように見えます。しかし、この二つの知覚報告は、同時に、問いに対する返答でもあります。そして、問いに対する関係においては、この二つの知覚報告の間には、次のような差異があります。「それは青いですか?」という問いに対して、「はい、それは青いです」と答える時には、「それは青い」という記述の提案を受け入れていますが、「いいえ、それは青くありません」と答える時には、「それは青い」という記述の提案を拒否しています。つまり、前者は記述を受け入れ、後者は記述を拒否しています。したがって、前者は記述ですが、後者は記述ではありません。

 知覚報告の特徴として、それは肯定判断であり、否定判断にはならないとのべて、前々回と前回の考察をしてきました。しかし、今回の説明では、肯定的知覚報告と否定的知覚報告があること、どちらも知覚との関係は似ているが、問いとの関係は異なること、したがって、肯定的知覚報告は肯定的事実の記述であるが、否定的知覚報告は否定的事実の記述ではないということを述べました。

 「それは青くない」は、例えば、「それは赤い。ゆえにそれは青くない」と言う仕方で他の肯定的知覚報告からの推論によって、主張される場合があります。その場合には、他の記述(他の肯定的知覚報告)からの推論による記述だといえるでしょう。では、この場合の「それは青くない」に対応する否定的事実があるのでしょうか? 否定的知覚報告以外の否定的報告が真であるとき、それに対応する否定的事実があるのでしょうか?

 これを次に考えたいと思います。