35 仕切り直し、疑問表現と論理的語彙の保存拡大性、世界の無矛盾性  (20210719)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

#仕切り直し

前回、自然の斉一性原理について、問答論的矛盾にもとづく超越論的論証を試みたのですが、いろいろと不十分な点に気づきましたので、議論し直したいのですが、その準備のために、別の方向から考察を始めたいとおもいます。まず「自然の無矛盾性」について考えてみたいと思います。

#疑問表現と論理的語彙の保存拡大性

 私たちが、自然について問い、その答えを得ることで、自然に関する語彙の意味が変わることはありません。疑問表現を使うことによって、その他の言語表現の意味が変わることはない、ということを、「疑問表現の保存拡大性」と呼ぶことにします(より詳しくは『問答の言語哲学』第一章)。これによって、問答による事実の探求が可能になります。もし問答することで、言語表現の意味が変化すれば、事実について知ることはできません。それは、長さが変わる棒で水深を計ろうとするようなものです。

 論理的な語彙もまた、保存拡大性をもちます。これはN. ベルナップが指摘したことです。そして、R. ブランダムは、これを意味論に適用して、「推論的意味論」を提唱しました。彼は、論理的語彙のこの性質ゆえに、推論は言語表現の意味を保存するので、命題の上流推論や下流推論を知ることで、命題の意味が変わることはなく、したがってそれによって命題の意味を明示化出来ると考えました。

 私は、論理的語彙に加えて、疑問表現もまた、意味の保存拡大という性質を持つことを指摘し、上流問答推論関係、下流問答推論関係によって、命題の意味を明示化できると考えました(より詳しくは『問答の言語哲学』第一章)。

#世界の無矛盾性

 もしA┣B(AとBは論理式を表す)という推論が論理的語彙の意味だけから成り立つならば、┣A→Bが成り立ち、A→Bという命題の真理性も論理的語彙の意味だけから成り立ちます。このような命題を「論理的に真なる命題」と呼ぶことができます。矛盾律¬(A∧¬A)もまたこのような論理的に真なる命題です。逆に言えば、矛盾した式が成り立つことは、論理的に不可能です。これが保証されている論理体系は、無矛盾な論理体系だと言えます。

 私たちが、自然についての問答するとき、矛盾した命題を避ける必要があります。さもなければ、矛盾を認めるとそこからどんな命題でも導出可能になってしまうからです。(矛盾を認めてもこのような「爆発」を起こさないような、矛盾許容論理(paraconsistent logic)があるので、これについては別途考えなければなりません。)

 私たちが、世界や自然を記述するとき、その記述の中には矛盾は存在しません(これを「世界の無矛盾性」とか「自然の無矛盾性」と呼ぶことにします)。矛盾が見つかれば、それはどこかに間違いがあるという印であって、その間違いを探してそれを修正するからです。

 世界について矛盾した命題を主張するとすれば、その命題は、論理的語彙の間違った使用に基づいているので無意味であることになるでしょう。

 (戦後、日本で「矛盾論争」がありました。それは世界や社会に矛盾が存在するかどうか、をめぐる論争でした。この論争の背後には、マルクスが生産力と生産関係の「矛盾」から生産関係の変化が生じると主張していたことをどう理解するか、という問題がありました。今帰省中で手元に文献がないので確認できないのですが、矛盾は存在しない、ということに落ち着いたように記憶しています。)

 世界や自然の無矛盾性は、世界そのものや自然そのものの性質ではなくて、それについての私たちの記述が満たすべき性質であるといえるでしょう(例えば、矛盾許容論理を受け入れれば、私たちは、世界についての矛盾した記述を認めることになるかもしれません。)

 以上の議論は、クワインの論文「経験論の二つのドグマ」の主張、分析的真理と綜合的真理を区別できないという主張と矛盾するように見えます。この点を考察しておく必要がありそうです。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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