12 人生の意味と人生の目的の区別(2) (20210722)

[カテゴリー:哲学的人生論(問答推論主義から)]

(前に(03回)に書いたことですが)若い人は、これからの人生を考えて、それを有意義なものにするために、「人生の意味は何か?」と問います。老人は、これまでの人生を考えて、人生の終わりに向けて、「私の人生はどんな意味があるのか?」と問います。人生真っただ中の現役世代は、多くの場合人生の意味を考える余裕がなく、問うことを忘れてしまいます。

 しかし、人生の意味を考えることは、不要不急の事柄でしょうか。それこそが最もエッセンシャルな仕事ではないのでしょうか?なぜなら、人生の意味を理解することは、人生の目的を設定するために必要なことだからです。老人にとっても、人生の意味を理解することは、残りの人生の目的を設定するために、つまりどのように死に向かうかを決めるために重要です。

 ただし(10回に書いたように)、人生の意味と人生の目的は異なります。多くの人は幸福を求めています。つまり幸福を人生の目的としています。では、幸福に生きることに、どのような意味があるのでしょうか。これは(02回で書いたように)、人生を記述する命題の上流推論と下流推論であると言えるでしょう。「<人生を記述する命題を結論とする上流推論とその命題を前提とする下流推論の全体が、その人生の意味である>。簡単に言ってしまえば、<私の人生の意味は、私が誰からどのような影響を受けて行為したのか、私の行為が、誰にどのような影響を与えたのか>ということに尽きる。」(02回)

 その幸福が他人の不幸の上に成り立っているのならば、その幸福に価値はないでしょう。その幸福が今後他人を不幸にするのであれば、その幸福に価値はないでしょう。将来の世代が快適に生活できるのであれば、多少の不便や苦痛は我慢する価値があるのではないでしょうか。

 「人生の意味」を推論主義で理解するのがよいように思うのですが、その場合「人生の価値」については、どう考えたらよいでしょうか。