[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]
#推論は問いを必要とする。
『問答の言語哲学』第一章の主張は、推論的意味論を問答推論的意味論へ展開することです。その根拠となるのは、「推論は問いを必要とする」という主張です。本書では、これを理論的推論と実践的推論の事例をあげて説明しました。しかし、一般的な論理的な証明は行いませんでした。その理由は、事例からその主張の正しさは明白になると考えたからです。しかし、やはり論理的な一般駅な証明が必要だと考えます。
「推論は問いを必要とする」の証明は、次のような推論になるでしょう。
①ある所与の諸命題を前提とするとき、それらから論理的に必然的に帰結する命題、言い換えるとそれらの前提がすべて真であるときに必然的に真となる命題は、常に複数ある。
②複数の命題の中から一つを結論として選択することで推論が成立する。
③推論における結論の選択は、問いに答えることである。
ゆえに、
④推論は問いを必要とする。
この①②③を証明すれば、④の証明ができます。
#①の証明
①を証明するには、基本的な推論規則のそれぞれについて①が成り立つことを証明するしかないでしょう。例えば、→の消去規則は次の推論です。
p,p→r┣r
この推論と同じ前提から、つぎのような結論を導出することが可能です。
p,p→r┣rⅤs
p,p→r┣p
p,p→r┣p∧r
p,p→r┣pⅤr
p,p→r┣pⅤs
他の導入規則や除去規則についても同様にして、多様な結論が導出可能です。
なお、論理結合子の導入規則と除去規則は、ゲンツェンが挙げているもの以外にも可能であるかもしれません。例えば、
p,p→r┣p∧r
これを→除去の論理規則とし、これにp∧r┣rという∧除去の規則を適用して。
p,p→r┣r
を導出された規則とみなすことも可能です。つまり、次の二つの推論のいずれを→の除去規則とすることも可能です。
p,p→r┣p∧r
p,p→r┣r
どのような基本導出規則の集合を設定するかは、論理的にはおそらく任意でしょう。
#②は自明であり、証明の必要はないでしょう。
#③の証明
証明1:本書での証明
「問いの答えを見つけるプロセスには、次の二通りがある。一つは、これまで念頭に説明してきたものであり、<ある問いに対する答えを見つけようとして、すでに知っている知識を前提として、そこから推論によって答えを求めようとする場合>である。もう一つは、これまで言及してこなかったものだが、<問いに対するある暫定的な答えないし答えの予想をえて、それを証明するために、それを結論とする推論を考える場合>である。この後者の場合には、推論の前提に先立って、まず結論が不確実なものとして与えられ、それを確実なものとして証明するために推論を構成しようとして利用できる前提を探すことになる。この場合にも、当初の不確実な命題は問いの答えとして想定されるのであって、<推論は問いの(確実な)答えを求めるプロセスである>といえるだろう。私たちが推論する場合としては、この二通りしかないだろう。」(『問答の言語哲学』p. 9)
上記をまとめると、私たちが推論するのは次の二つの場合です。
場合1:<ある問いに対する答えを見つけようとして、すでに知っている知識を前提として、そこから推論によって答えを求めようとする場合>
場合2:<問いに対するある暫定的な答えないし答えの予想をえて、それを証明するために、それを結論とする推論を考える場合>
もし私たちが、推論するのは、本当にこの二通りしかないのだとすると、どちらの場合にも、<推論は問いの(確実な)答えを求めるプロセスである>と言えるので、③が成り立つでしょう。ちなみに、場合1では、相関質問は補足疑問になり、場合2では、相関質問は決定疑問になります。
証明2:
「全ての選択は、問いに答えることである」が証明できれば、それにもとづいて③「推論における結論の選択は、問いに答えることである」を導出できます。「全ての選択は、問いに答えることである」は、次のように証明できます。
「Aをするかしないか」というもっとも単純な選択の場合、例えば朝目覚めた時、「起きるか起きないか」の選択をします。迷い続けるとすれば、起きないことを選択していることになります。その意味で、朝目覚めた時、起きるか起きないかの選択は不可避です。この選択は「起きようか、もうすこし寝ようか?」という問いに答えることとして行われます。
選択肢がより多い場合も同様です。たとえば<Aを選択するか、Bを選択するか、Cを選択するか>という選択肢からの選択の場合、この選択は、「Aを選択するか、Bを選択するか、Cを選択するか、何も選択しないか?」という問いに答えることになるでしょう。
補足:選択が可能になる条件は、次のようなことです。
<ある事柄を選択することが可能であると信じること>
これは、次と同じです。
<ある選択肢を理解していること>
ここで次の二つの関係を考えてみましょう。
①選択が可能であること
②選択が可能であると信じていること
②が成立しなければ、選択は不可能です。ゆえに②は①にかならず伴っています。しかし、逆に②が成立していても、①が成立しているとは限りません。例えば、私は、ケーキを一個買うことも二個買うこともできると信じているのだが、財布の中には一個かうお金しかない場合には、一個買うか二個買うかの選択はできません。
そして、重要なことは、<選択が可能であると理解するとき、選択は不可避になる>ということです。なぜなら、それらのどれも選択しないことも一つの選択になるからです。