38 「論理的語彙による事実の明示化」の問題に戻る (20210915)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

論理学・数学の言明の「無意味性」理解(カルナップ)と、「実在性」理解(クワイン)の対立について、考察すると予告しましたが、思ったよりも簡単に結論がでました。それは次の通りです。

<問答関係を分析的と綜合的に分けるとき、綜合的問答関係は事実に関わりますが、他方分析的問答関係は、事実には関わりません。その意味で、分析的問答関係は「無内容」だと言えます。しかし分析的問答関係の答えが「無内容」であるということにはなりません。なぜなら、分析的問答関係にある問いの理解と問いの前提の是認が、クワインの言う意味で事実的要素を含んでいるからです。その意味で、分析的問答関係の答えは、「実在性」をもちます。>

結論が出たので、31回で提起した「論理的語彙による事実の明示化」というテーマに戻ります。

疑問表現と論理的語彙は、その保存拡大性により、その他の表現の意味の明示化に役立つのですが、他方で、事実の明示化にも役立つだろうと推測しました。

31回で、次のように述べました。

「前回(30回)私は、<p┣pという同一律は、pの命題内容に関係なく成立することから、同一律がpの意味の明示化には役立たないと考えるのではなく、同一律はpの意味を作り上げているのであり、その意味でpの意味を明示化している>、と見なすことを提案しました。

これと同じように、<p┣pという同一律は、世界の状態にかかわらず、つねに成り立つことから、同一律が、事実の明示化には役立たないと考えるのではなく、同一律がpという事実を作り上げているのであり、その意味でpの事実を明示化している>、と考えることができます。たしかに、トートロジーの命題は、ある事実を他の事実から区別する事には役立ちません。しかし、それは事実についての基本的な性質、ないし事実の存在の仕方を明示化していると考えることも出来るのではないでしょうか。

 以下の考察のために、この二つの理解に、トートロジーについての「無内容性」理解と、「有意味性」理解という名前を付けることにします。

 次回から、このどちらが正しいのかを、考えたいとおもいます。」

 論理学・数学の「有意味性」理解をその後「実在性」理解に改めましたが、この考察の結論が、冒頭に記した結論になります。この結論を踏まえて、上記の引用の問題提起を考えたいと思います。