35 問答の四つのケースの再検討 (20210909)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

前々回と前回の述べた、問答の四つのケースの再検討を行いたいと思います。

#問答のケース1

  「5+7=12は真であるか?」「はい、5+7=12は真です」

この問いの意味論的前提の一つは、「「5+7=12」が真であるか、真でないかのどちらかである」ということです。これは、「「5+7=12」が自然数論の公理から導出できるか、できないかのどちらかである」と言い換えられます。ところで、この問いを理解することは、「5+7=12」の理解を伴いますが、この式を理解することは、この式を自然数論の公理系の適格な式(wff)として理解することです。したがって、この式を理解する人は、「この式が真であるか、真でないかのどちらかである」という問いの意味論的前提(の一部)を理解しており、さらに、この前提が成り立つことを認めています。このケースは、<問いの理解が、同時に問いの前提の是認となるケース。しかも問いの前提から、論理的推論によって答えを導出できるケース>です。

 他の論理学・数学の問いと答えも、一般的にこの例と同様のケースだと言えます。

#問答のケース2

  「机の上にリンゴがあるかないかのどちらかですか?」

この問いは、「机が存在する」ということを前提しています。

この前提が成り立つことは、知覚に基づくことになります。この前提を是認するならば、問いに対する答えは、問いの分析によって、「はい、机の上にリンゴが有るか無いかのどちらかです」となります。つまり、「アポステリオリで分析的」な問答関係となります。

 ちなみに次の問答関係は、ケース1とおなじく「アプリオリで分析的」です。

  「もし机があるなら、その机の上にはリンゴが有るか無いかのどちらかである」

この問いの前提は、何でしょうか。それはp∨¬p、論理規則や意味論的規則です。そしてこれらは、問いの理解を前提するならば、その前提から帰結します。

#問答のケース3

  「机の上にリンゴがありますか?」「はい、机の上にリンゴがあります」

この問いを理解するということは、(他の問いの場合と同様に)この問いの上流問答推論や下流問答推論の正しさを判別できるということです。問いの理解は、言語の理解を必要としますが、他にも世界について理解を前提するだろうとおもいます。

 この問いの意味論的前提(つまりこの問いが正しい答えを持つための必要条件)の一つは、「机がある」ということです。この問いの前提を是認するためには、机を知覚する必要があります。さらに、この問いに答えるためには、机の上を見てリンゴがあるかないかを知覚によって判断する必要があります。

 問いの理解を前提するとき、この問いの前提を是認するには、知覚が必要であり、またこの問いに答えるためにも、知覚が必要です。したがって、この問答関係は「アポステリオリで綜合的」なものです。

#問答のケース4:問いを理解することによって、問いの前提が成立する問い。

出張が多くて、ホテルに泊まることが多い人は、目覚めたときに、自分がどこにいるのかわからなくて次のように自問することがあるでしょう。

  「私はどこにいるのだろう?」

このように自問する人は、当然この問いを理解しています。この問いの前提は、「私がどこかに存在する」ということです。人がこの問いを理解するとき、この問いの前提は成立しているし、それを知っています。この問いの前提は、問いの理解を前提するのならば、常に是認されます。この問いはアプリオリに成立します。(ただし、ここでは、問いの意味論的前提(問いが正しい答えを持つための必要条件)だけでなく、語用論的前提(問うという行為が成立するための必要条件)も考慮していると思われるので、もう少し分析が必要だろうと思います(参照、『問答の言語哲学』p. 224)

 他方、この問いに答えるには、昨夜の行動を思い出し、その記憶に基づいて答える必要があります。あるいは、昨夜の記憶がないなら、部屋を出て、そこがホテルであるのかどうか、どこにあるホテルなのか、などを確認する必要があります。したがって、この問いに答えることは、綜合的です。このように考える時、この問答関係は「アプリオリで綜合的」です。

#方針のまとめ

以上の考察は、次のような方針にまとめることができます。

①問いの理解がどのようにして生じるのかは問わず、問答関係を考察するときに、問いの理解は前提とします。

②問いの前提の是認が経験を必要としないならば、その問いはアプリオリであり、その問答関係もアプリオリです。問いの前提の是認が経験を必要とするならば、その問いはアポステリオリであり、問答関係もアポステリオリです。問いが設定されても、答えが得られるとは限らないので、答えが得られない場合を考慮して、「アプリオリ」と「アポステリオリ」の区別を、問答関係だけでなく、問いについても認めることにします。(「分析的」と「綜合的」の区別は、問いについては認めず、問答関係だけに認めることにします。なぜなら、「分析/綜合」の区別は、主語と述語の結合関係の区別のように思われてきましたが、問いと答えの関係の区別だからです。すべての発話は、焦点を持ち、それを明示化すると分裂文になりますが。それは問いに対する答えとして、その文が成立することを示しています。参照『問答の言語哲学』第二章)

 <問いの前提の是認がアプリオリに行われるか、アポステリオリに行われるか>の違いは、<問いの理解から問いの前提の是認が帰結するか、帰結しないか>の違いである。

③問いの答えが、問いの理解と問いの前提の是認から、形式論理的に答えが導出されるのならば、その問答関係は、「分析的」です。問いの答えが、問いの理解と問いの前提の是認から、知覚、記憶、伝聞によって得られるのならば、その問答関係は「綜合的」です。

④ケース4の「アプリオリで綜合的」という用語は奇異に思われる用法かもしれませんが、慎重に吟味したつもりです。今のところ、このように表記したいと思います。

これで、クワインからの批判に応えられるかどうか、次に検討したいと思います。