[カテゴリー:日々是哲学]
フィヒテの『知識学の叙述』(1801/02)は、彼が出版を計画し、第一部の14章まではすでに印刷も終わっていたのですが事情により出版されなかったものです(この経緯については、『フィヒテ全集』晢書房、第12巻の「解説」に詳しい説明があります)。前期フィヒテは、「自我」ないし「自己意識」を原理にして知の体系を叙述しようとしていたのですが、『知識学の叙述』(1801/02)からは、「絶対知」を原理にして知の体系を叙述しようとするように変化します。ここから「後期」フィヒテが始まります。この変化の理由をどう説明するかという問題が、フィヒテの「変説問題」と言われるものです。(この前期から後期への変説について詳しくは、拙論 「観念論を徹底するとどうなるか --フィヒテ知識学の変化の理由―」『ディルタイ研究』第18号、日本ディルタイ協会発行、pp.38-54、2013.(https://irieyukio.net/ronbunlist/papers/PAPER33.pdf)をご覧ください。)
フィヒテは、カント哲学を知って決定論を克服できると考えるようになったと言われています。そのとき、フィヒテにとって重要だったのは、カントの「統覚」の考えです。カントの統覚は、認識の成立において、直観に与えられる多様と悟性のカテゴリーを結合して認識を形成するときには、その二つを結合するものです。すべての表象には、「私が考える」という表象が結合しうるのであり、これによって、表象は私の表象になるというものです。統覚は「私が考える」という表象だと言われることもありますが、「私が考える」という表象と他の表象(直観の多様や知覚や経験的概念など)を結合する能力でもあるだろうと思います。表象が成立するには、表象の表象もまた必要であり、意識が成立するには、意識の意識もまた必要なのです。しかし、単なる反復ではなく、それが自己表象、自己意識であることが必要です。そのとき「私が考える」という表象が発生しているのです。自己意識が成立するには、意識されている意識と、意識している意識が同一であるだけでなく、その同一性の意識が必要です。ちなみに「自己意識(Selbstbewusstsein)」という語は、カントの造語です(「意識(consciousness)」はロックの造語です。西田幾多郎の『善の研究』には「自覚」は登場しますが、「自己意識」の語はありません。おそらく西田は、Selbstbewusstseinを「自覚」と訳していたのだろうとおもいます。それをいつ頃から「自己意識」と訳すようになるのかは、未確認です。関心のある方は調べてみてください。)
このように意識は自己意識として成立します。前期フィヒテは、これを「事行」(Tathandlung)とか「知的直観」とか「自我性」と呼びました。後期フィヒテは、これを「知の知」とか「絶対知」と呼びます。
この「絶対知」がどうして必要になるのかは次回に説明します。そこからさらに「絶対的存在」に言及するようになるどうしてなのかは、フィヒテ研究者にとって重大な謎です。これについては、次回に推測を説明します。それからスピノザ批判に向かうことにします。