[カテゴリー:問答の観点からの認識]
前回カルナップから引用したところを再掲します。
「説明と記述とのあいだに実質的な対立はなにもない。[…] より一般的な法則のコンテクストの中に現象を位置させるような記述が、現象に対して可能な唯一の説明の型を与える」(『物理学の哲学的基礎』沢田充茂、中山浩二郎、持丸悦朗訳、岩波書店、1968年(原著1966)、251。原著が出て2年後に翻訳が出るということは当時の人気ぶりをうかがわせます。)
ここでの「説明」の説明は、カール・ヘンペルが主張した「科学的説明」の「被覆法則モデル」に似ています。このような説明の定義だけであれば、「経験法則」であっても、「理論法則」であっても、「説明」能力を持つことは同じであり、理論法則の説明能力が明確になるわけではありません。
論理的語彙の説明能力、理論語の説明能力、観察語の説明能力を考察するために、「科学的説明」に限定せず、「説明」一般について考えてみたいと思います。
#最も広い意味では、<あることを説明するとは、それについての問いに答えることです>。
例えば、べジマイトについての問いは、どのような問いであっても、べジマイトの説明になるのではないでしょうか。
「べジマイトとは何ですか」
「べジマイトの素材は何ですか」
「べジマイトは、どのようにして食べるものですか」
「べジマイトはなぜ黒いのですか」
「べジマイトは、苦いですか」
これらの問いへ答えは、「べジマイト」一般についての説明になりますが、個別のべジマイトについての問いに答えることも、次のように説明になります。
「このべジマイトはどうしたのですか」「友達にもらったのです」
「このべジマイトは、古いものですか」「いいえ、新しいものです」
このように見てくると、問いに答えることは、常に説明することであり、どのような問いであっても、問いは、常に説明を求めることだと言えそうです。
Xについて何かを問うということは、Xについて何かを求めているのです。それは、Xを何かに関係づけて語ることです。したがって、説明することを次のように定義できそうです。
#あるものを説明するとは、それがどのような他のものとどのような関係をもつかを語ることです
あることを説明するとき、私たちは、それを他のことと関係づけて語ります。しかし、他のこととの<関係>に焦点があるのではなく、他のこととの関係における<あるもの>に焦点があるのです。したがって、<あるものを説明するとは、それがどのような他のものとどのような関係をもつかを語ることです>。
例えば、ある人物を説明するとき、私たちは、その人がどのような人とどのような人間関係を持っているかを語ることによって、説明する場合があります。例えば、リンゴの木を説明するとき、それがバラ科であり、バラ科の他の木とどのような共通性を持つかを語ることによって、説明する場合があります。
ここで「語ること」は、記述することには限りません。例えば、会社の営業目標を説明するとき、それを従来の営業目標と比較して違いを語ることがあるかもしれません。それを「記述」だと言えるかもしれませんが、狭い意味の「事実の記述」ではありません。例えば、道徳規範を説明するときにも、それと他の道徳規範との違いを語ることで説明しようとする場合もあるでしょう。それもまた「記述」だと言えるかもしれませんが、狭い意味の「事実の記述」ではありません。つまり、答えが真理値を持たない実践的問いに答えることもまた、説明であると言えるのではないかと思います(これについては、もう少し考察が必要かもしれません)。
#還元による説明
上記の定義での「他のもの」は、上記の例では、当の対象の外部にあるものでしたが、当の対象を構成するものである場合もあります。この場合は、あるものを説明するとは、それが何に還元可能であるかを語ることです。サールは、還元を次の5つに区別しているので、それらを5種類の還元による説明として確認したいとおもいます。
1,存在論的還元
「ある種の対象が別の種類の対象以外の何ものでもないことが示されうるという形態の還元である。」(サール『ディスカバー・マインド』宮原勇訳、筑摩書房、178)
例えば、椅子は分子の集合以外の何物でもない。物資的対象は、一般に、分子の集合以外の何ものでもない。遺伝子とは、DNA分子以外の何物でもない。
2,属性の存在論的還元
「これは存在論的還元の一形態なのだが、属性に関わるものである。」(同訳178)例えば、熱(気体の熱のように)は、分子運動の中程度の運動エネルギー以外のなにものでもない。「「熱」や「光」はものの属性に対する理論上の用語であるが、そのような属性を[他の現象に]還元することは、しばしば理論的概念の結果である。」(同訳178)
この還元による説明は、観察語による述定を理論語による述定に換えることです。
3,理論的還元
「理論的還元は文献の中で理論家たちが好むところであるが、実際上、科学の実践ではかなりまれであるとわたしには思われる。」(同訳178)
「理論的還元は第一義的には、理論と理論との関係であり、還元される理論の法則は、(程度の差はあれ)還元する理論の法則から演繹されうるのだ。このことは、還元される理論は、還元する理論の特別なケース以外のなにものでもないことを証明するものである。」「普通、教科書に書かれている古典的事例は、気体の法則を統計熱力学の法則に還元するというものである。」(同訳179)
この還元は、経験法則を理論法則に還元することですが、言い換えると、経験法則の説明を、経験法則を理論法則から構成されたものとして語ることです。
4、論理的、定義的還元
この還元は「語や文の間での関係であり、その関係の中で、ある種の存在者を指示している語なり、文なりは、他の種類の存在者を指示する語なり、文なりにくまなく翻訳されうるというもの」(同訳179)例えば「バークレーの平均的な配管工についての文は、バークレーの一人一人個別的な配管工についての文へと還元されうる。」(同所)「数についての文は、ある理論によれば、集合についての文へと翻訳可能であり、従ってそのような文へと還元可能である。」(同所)「語や文は「論理的に、あるいは定義的に」還元可能である。語や文によって支持されていて、それに対応する存在者は、「存在論的に」還元可能なのだ。たとえば、数は集合の集合以外のなにものでもないのだ」(同所)
この還元は、ある表現を定義によって他の表現に置換することです。例えば、観察語を理論語に還元したり、またその逆のように。意味の検証主義は、文の意味を、その文を観察報告に還元することによって説明することです。(これに対して、推論的意味論は、発話の意味を、それを構成するものとの関係によってではなく、それと他の発話との関係(推論関係)によって説明するものです。)
5 因果的還元
「これは、それぞれ因果力を持つ二つの種類のものの間で関係であり、この場合、還元される存在物の存在は言うに及ばず、その因果力はなおさら、還元する方の現象の因果力によってすべて説明されうることが示されるのだ。」(同訳180)
たとえば、「いくつかの対象は固体であり、これは因果的結果を有し、固体の対象は他の物体によって透過されることはない。それらは圧力に対して抵抗を示している、等である。」(同訳180)「しかし、これらの因果的力は、格子構造にある分子の振動運動の有する因果力によって因果的に説明されうるのだ。」(同所)
「還元」は、この5つ以外にもあるかもしれませんし、これとは異なる還元の分類が可能であるかもしれませんが、いずれにせよ、「還元」とは、あるものをそれの部分や構成要素によって説明することです。そして、この場合の説明は、次のような問答になるしょう。「Xは何から出てきているのですか?」「Xは…からできています」
次に法則による「説明」について考察したいと思います。