57 「推論的概念実在論」から「問答推論的概念実在論」へ(20220129)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

#「問答推論的概念実在論」へ

ブランダムの概念実在論は、客観的事実が概念的であること、つまり推論的関係(両立不可能性と帰結)にあることを主張するものでした。したがって、それを「推論的概念実在論」とか「推論的関係実在論」とよぶこともできるでしょう。

 ところで、推論は、現実には、問いに対する答えを求めるか過程として成立するものです。つまり問答推論の一部として成立するものです。したがって、事実が他の事実との推論的関係において成立するということも、より正確には、事実が他の事実との問答推論関係において成立するということだと言えます。

ブランダムは両立不可能性と帰結について次の例を挙げています。「これは銅である」は「これはアルミである」とは両立不可能であり、「これは銅である」から「これは電導体である」が帰結します。これらの推論は、問答推論の観点から見ると、問いに対して答える過程として成立します。「これはアルミですか?」という問いに答える時に、「これは銅である。ゆえにこれはアルミではない」という推論が使用されます。また「これは電導体ですか?」という問いに答える時に、「これは銅である。ゆえにこれは伝導体である」という推論が使用されます。

ブランダムは、このような客観事実の概念構造ないし推論的関係は、人がそれを認識しなくても、あるいは人がいなくても、成立していると(一応)考えます。私は、この推論的関係を問答推論関係として理解しますが、その場合にも、問答推論的関係は、人がそれを問い認識しなくても、また人がいなくても、成立すると(一応)考えます。それを次に説明します。

#問答関係は、無時間的な意味論的論理的関係である。

 問答推論関係は、より一般的に述べれば次のようなものです。Q、r、s、┣pという問答推論(Qは疑問文、r、s、pは平叙文で、r、s、pの間には通常の推論関係r、s┣pが成り立っており、pはQの答えになっている)が成り立つとしよう。この関係は意味論的論理的関係であり、問答推論が妥当であるとは、Qが健全であり、r、sが真であるならば、pが真となるという意味論的な関係が成り立つということです。「問いが健全である」とは、問いが真なる答えを持つことを意味します。(ここでの妥当性の説明は、「真」の理解を前提して、推論の妥当性を説明していますが、私は最終的にはそのようには考えません。このような語り方をするのは、とりあえずの説明のための方便と考えてください。より詳しくは、カテゴリー「『問答の言語哲学』をめぐって」の51~54回をご覧ください。)

 このように考える時、問答推論関係は、通常の論理的関係や数学的関係と同じく、経験的世界とは独立に無時間的に成立するものです。しかし、この理解は、推論の妥当性を、問いの健全性と命題の真理性に基づいて説明しています。(後で述べますが、ブランダムが、形式論理は実は実質論理であると考えているように、私も形式的問答推論は、実は実質的問答推論であり、前者は後者からの抽象によって成立すると考えています。)

 このことをここで確認するのは、つぎのような疑念に答えるためです。<事実が概念的構造、推論的関係を持つことは、人がそれを知らなくても、あるいは人がいなくても、成立すると言える可能性がある。しかし、問答推論関係は、人がそれを問わなければ、あるいは人がいなければ、成立しないのではないか>という疑念に対して、そうではないというためです。

さて、ブランダムは、客観的推論的関係を主観的推論的関係から独立したものとして、捉えるのですが、しかし、他方では、「主観的次元と客観的次元の相互的意味依存(reciprocal sense-depenedence)」(SoT 86)を語ります。つまり、客観的概念構造は一応は、主観から独立に成立しているのですが、意味論的にはそうではない、と言うことです。では、両者の存在論的関係はどうなるのでしょうか。

 次に、この「相互的意味依存」を説明し、二つの次元の存在論的な関係を考え、それに依拠して、「問答推論関係」についても同様のことが成り立つことを説明したいと思います。