78 佐々木さんの質問への回答(8) 問答の観点からの「概念実在論」批判 (20220122)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

今回は「質問1、私は「概念実在論」を採用するのかどうか」に答えたいと思います。

前回示述べましたが、ハーバーマスが批判する「概念実在論」は次の主張1+主張2でした。ブランラムは主張1を「概念実在論」と呼び、主張3(あるいは主張1+主張3)を「客観的観念論」と呼びます。

主張1:存在するのは、物ではなく事実であり、事実は、概念的に構造化されています。事実は、他の様々な事実と、推論的関係(帰結と両立不可能性)にあります。

主張2:ある事実が暗黙的に持つ推論関係が無数にあります。そしてほとんどの推論関係は現実には語られていません。しかし語られていなくても、すべての事実は、他の事実との間に帰結や両立不可能性などの関係を持ち、それによって成立しています。

主張3:ある事実の他の諸事実との客観的推論的関係(帰結と両立不可能性)とある事実についての主張と他の諸事実との主観的推論関係(帰結と両立不可能性)は、相互に意味論的依存の関係にあります。したがって、事実は、事実についての主張から離れて成立するものではありません。

この主張3には次のような問題点があります。

問題点1:ブランダムの理解では、客観的推論的関係と主観的推論的関係はともに実質的推論的関係であり、訂正の可能性に開かれています。客観的推論的関係が修正されるとき、事実そのものが変化するのではなく、事実についての私たちの理解が変化するのではないでしょうか。もしそうならば、客観的推論的関係とみなされてきたものは、実は主観的推論的関係であるということになります。

問題点2:デイヴィドソンとローティは、異なる概念枠が存在することを認めません。ブランダムもおそらくそうでしょう。このとき、上のような問題が生じますが、これに加えて、次のような問題も生じます。論理学には、古典論理学、直観主義論理学、パラコンシステント論理学などあいます。様相論理学にも、古典的なものと直観主義的なものがあります。また様相論理の意味論としては、可能世界意味論のほかに、Belnapのbranching space and time theoryのようなものもあります。またこれら以外にも多くの論理学が可能だろうとおもいます。問題は、これらから一つを実質的な論理学として選択することは難しい、ということです。同様のことは、科学理論の場合にも生じます。競合する科学理論があるときに、どれを実質的な理論として選択することもできないということです。

これらの問題点は、直接実在論者にも生じる問題であるかもしれません。私は、これらの問題を、問答推論の観点から解決できるだろうと考えています。その説明は、簡単だろうと思っていたのですが、すこし込み入った議論になりそうです。これは次著として計画している『問答の理論哲学』の重要なトピックになりそうなので、別のカテゴリー「問答の観点からの認識」に移ってこの議論の続きを行いたいと思います。

しかし、ここで回答すべきご質問がまだ残っています。それらのご質問には、「概念実在論」への批判的考察が一段落した時点で、このカテゴリーに戻ってお答えしたいと思います。

備忘録として、他のご質問について記しておきます。

合評会の質疑の中では、嘉目道人さんから『問答の言語哲学』第4「問答論的超越論的論証」

で論じた規範の超越論証について次のような質問をいただきました。

「アーペルの討議倫理学では、討議の超越論的条件として規範を論証するのですが、アーベルがいう討議のための超越論的条件は、理想的なものとして考えられています。では、入江さんが論証する超越論的な規範は、アーペルが言うような理想的な統制的原理なのか、それともそれを満たしていないとそもそも問答が成り立たない構成原理なのでしょうか。」

三木那由他さんからの質問は次のようなものでした。

「ブランダムが反表象主義の立場から批判している「指示」や「表示」の使用を、入江さんはわりと無造作に使っているように思えるのですが、それはブランダムのアプローチをフルパッケージで受け入れるということと矛盾しないでしょうか。また「指示」と「表示」同じような仕方で説明するのでしょうか。」

朱喜哲さんからの質問は次のようなものでした。

「入江さんが、知覚報告を上流推論を持つと考えることは、ブランダムが採用しない、超推論主義をとることになるのではないでしょうか」

このご質問については、朱さんへの回答(55回)で回答しました。