45 ボトムアップのアプローチとトップダウンのアプローチ (20220921)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

「人はなぜ問うのか」に答えるのが、このカテゴリーの課題ですが、この問いは、二つの意味で理解できます。

一つは「なぜ」の問いを、原因を問うこととして理解し、「人が問う原因は何か」という問い

として理解することです。この問いは、問うことが何らかの原因を持つことを前提しています。その原因が自然的なものであれば、それは人が問うことの自然主義的な説明になります。これまで試みてきたのは、このようなボトムアップのアプローチでした。(このカテゴリーのここまでの議論については、このカテゴリーの説明文に書き込みました。なお、ボトムアップのアプローチとしては、カール・フリストンの「大統一理論」と「能動的推論」を検討したいと思うのですが、それについてはカテゴリー「問答推論主義へ」で問答推論の観点から考察する予定です。)

ここからしばらく、トップダウンのアプローチを試みたいと思います。ただし「トップダウンのアプローチ」がどのようなものになるのかは、私にはまだよくわかっていません。それも含めて、しばらく試行錯誤が続くとおもいます。

今仮に、<問うことは、自然的条件を必要条件として持つが、それだけでは問うことの成立には不十分である>と仮定してみましょう。この場合には、何かが加わって、問うことが成立したとしても、その何かは自然的条件ではないので、問うことは自然的原因なく生じることになります。

ところで、今まで意識の発生を考えるときに、このカテゴリーでもカテゴリー「問答の観点からの認識」でも、意識的な認識の発生を念頭に考えてきました。しかし、進化史上は、認識の発生はおそらく行為のためであったでしょうし、意識の始まりも行為のためであっただろうと思われます。したがって、意識的な行為の発生が、意識的な認識の発生に先行するだろうと思われます。

そこで次回から、意識的な行為の発生、つまり意識的な意図の発生について、どのような説明が可能であるかを考えてみたいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。