47 <最初の意識は、問答によって、あるいは問答として成立する>の証明 (20221001)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

(しばらく更新できずすみません。11月のフィヒテ協会大会のシンポでの発表要旨の締め切りがあり、それに時間をとられていました。そこでは自由意志の問題を論じる予定です。実は、このカテゴリーの45回から始めたアプローチ、つまり「人はなぜ問うのか」へのトップダウンのアプローチを始めるにあたって、フィヒテによる自己意識の発生論を利用できないかと考えています。しかし、フィヒテの観念論は、現代哲学とは前提が非常に異なるので、フィヒテの議論から始めることはできません。私が利用したいと思っているフィヒテのアイデアは、<自己意識は無前提な自己定立として成立する>ということであり、このアイデアを、現代の認知科学とリンクさせて生かせるようにしたいと思ってます。)

K. J. フリストン、J. ホーウィ、A.クラークなどの近年の認知科学の知見によるならば、<最初の意識は予測として成立する>と思われる。そして「p」を予測し、それが正しいかどうかを確認することは、「pであるか」と問い、それに答えることに他ならないと考えます。つまり、「予測する」とは、問答することなのです。また逆に、問うことは、予測することです。なぜなら、私たちが問うとき、多くの場合には答えについての一定の予測があり、また答えについての予測が全くないときにも、問いの前提についての予測があるからです。

したがって、<最初の意識は予測として成立する>と言えるならば、<最初の意識は、問答によって、あるいは問答として成立する>と言えるでしょう。

<予測から問答へ>

#中枢神経システムは、環境から感覚刺激を受け、その刺激によって走性や無条件反射として行動します。この行動は遺伝子によって決定された行動です。。

#条件反射やオペラント反応は、<環境からの感覚刺激とそれに対する無条件反射行動とその結果についての痕跡記憶>と、環境からの感覚刺激によって、引き起こされた行動です。この条件反射やオペラント反応の結果(つまり反応が引き起こした環境変化からの感覚刺激)は、同様の感覚刺激あったときに、その条件反射やオペラント反応を強化したり弱化したりします。この過程は、経験による学習過程です。

#行動がもたらす結果によって行動を調整するというメカニズムが発達するとき、動物は、行動がもたらす結果を予測するようになるでしょう。予測は外れることがあり、予測と現実の区別が生じます。これが、意識の始まりである可能性があるでしょう。しかし、予測にも様々なレベルのものがあります。では識の始まりと言える予測はどのようなものでなければならないでしょうか。

#探索は、予測をともなうでしょう。ランダムな探索もありえますが、しかしそれですら何らかの予測をともないます。蛆が、頭を振って、どちらの方向に暗いところがあるかを探るとき、頭を振ることは暗さの探索をおこなうことです。この探索は、暗いところと明るいところという違いがあることを前提とします。もちろんこの探索は、探索しているように見えるという<見かけ上の探索>です。<暗いところと明かるところという違いがある>ということは、この<見かけ上の探索>の前提です。探索は、その前提が成り立つことこともまた予想しています。これは<こちらが暗いだろう>というような探索によって真であることが発見される予想ではなく、探索の前提となるより確実なものですが、これまた予測であるには違いりません。

#予測することは、未来のある状態を信じることではなく、未来のある状態を考え、それが真となる可能性が高いと考えることです。もしこれだけにとどまらず、予測が真となるかどうか確かめようとすることを伴うならば、それは未来の状態について「pであるか」と問うことです。

(これらのステップは、まだ大まかな道筋を示したにすぎません。)

次に、<見かけ上の予測>と<問答としての予測>の違いについて考えたいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。