01 スピノザの自由意志への批判 (20221022)

カテゴリー[自由意志と問答]

スピノザの自由意志批判は有名ですから、それをまず見ておきたいと思います。

#スピノザによる「自由」の定義

スピノザは、自由を、「自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定される」(第1部、定義7)ことだと定義します。そして、この意味で自由であるのは、神のみであるといいます。「神は単に自己の本性の諸法則のみによって働き、何ものにも強制されてはたらくことがない。」(第一部定理17)59 「ひとり神のみが自由原因であることになる。」(第一部定理17系2)59

#スピノザによる自由意志の否定

スピノザは、このように神が自由であることを認めるのですが、人間の「自由意志」は認めません。なぜなら、「 個々 の 意志 作用 は 他 の 原因 から 決定 さ れる ので なく ては 存在 する こと も 作用 に 決定 さ れる こと も でき ない。」 (第一部、定理32、証明)からです。それにもかかわらず、個人が、自分は自由意志を持っていると考えるのは、「 彼ら が ただ 彼ら の 行動 は 意識 する が 彼ら を それ へ 決定 する 諸 原因 は これ を 知ら ない という こと に のみ 存する ので ある。」(第一部、定理35の備考)と言います。

#他方で、スピノザは「人間の自由」について語ります。

スピノザは、第4部と第5部で「人間の自由」について論じています。人間を、自由人と奴隷を次のように分けます。「自由人」とは「理性に導かれる人間」であり、奴隷とは「感情ないし意見のみに導かれる人間」です(第4部定理66備考)。

第4部第5部での「自由人」の「自由」は、第1部定義7でいう「自由」とどう関係するのでしょうか。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。