57 模倣と予測誤差最小化メかニズム (20221222)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

前回、探索を次のように分けました。。

<見かけ上の探索行動>

 遺伝的な探索行動

 学習としての探索行動

<非言語的な本当の探索行動>

 欲求にもとづく探索行動

<言語的な本当の探索行動>

そこでは、<学習としての探索行動>としては、条件反射とオペラント行動を考えていました。しかし、学習には、これらに加えて<模倣による学習>があるという指摘(ブラックモア『ミーム・マシンとしての私』を読んで、模倣について考えなければならないと思いました。

模倣行動を行うのは、人間だけのようです。マカクは模倣をしないようです。チンパンジーでも模倣することは難しいようです。(以下、明和政子「模倣はいかにして進化してきたのか?」

――比較認知科学からのアプローチ」(『バイオメカニズム学会誌』Vol. 29 No,1,2005)https://www.jstage.jst.go.jp/article/sobim/29/1/29_1_9/_pdf を参考にしました。)

ヒトとチンパンジーの幼児は、自動的に他者の表情を模倣するそうです。その後この模倣はチンパンジーでも人間でも8ケ月のころ消失するそうです。ただし、人間の場合には、しばらくするとそれが再び出現する(これにはトマセロのいう「9か月革命」が関わっていそうです)のに対して、チンパンジーも、9カ月ごろに突然、模倣「らしき」反応を見せるが、一か月程度でなくなるそうです。その後、「チンパンジーは、呈示した行為を、訓練なしに見ただけで再現する(模倣する)ことはほとんどなかった。チンパンジーにとって、模倣はたいへん難しいらしい」ということです。

面白いことに、チンパンジーは、歯ブラシを持った行動など、物を操作する行為の場合には、訓練すれば模倣できるようですが、「「身体の動き」の情報しか含まない(物を操作しない)行為」は困難なようです。

これに対して、ヒトの幼児は、9ケ月以降、他者の身振りや発声の模倣できるようになります。他者の身振りや発声を模倣を反復するとき、それらの身振りや発声は、ある一般的なタイプとして同定されるにようになるでしょう。そして、その身振りや発声をすることは、一定の「行為連関」を持つことになるでしょう。つまり先行する行為や状況、一定の後続する行為と結合することになるでしょう。発声したものの視線の方向に注意するとか、ある身振りをする他者から離れるとか、その他者に接近するとか、戦闘の用意をするとか、です。こうして、身振りや発声の模倣から言語が発生すると予想します。

(マカクやチンパンジーが、他の個体の発声の模倣をしないと述べたのは、私の予想で未確認です、おそらく何か研究があるだろうと思います。イモを洗うサルが有名ですが、マカクも物をもって行う行為は模倣することがあるということだろうとおもいます。しかし(物を持たない)身振りの模倣ができないということなのでしょう。ところで、人間もチンパンジーもミラーニューロンを持つことが知られていますが、人間は他の個体の行為を模倣しますが、チンパンジーは模倣しません。模倣するには、ミラーニューロンが必要だと思われますが、しかしミラーニューロンだけでは不十分だということになりそうです。)

最初に見られる模倣は、無意識的な行動だと思われます。私たちは、教師や先輩のしぐさや話し方を無意識のうちに模倣していて、他者から指摘されてそれに気付くことがあります。(マカクやチンパンジーの模倣行動の研究が、無意識的模倣と意図的な模倣に区別して行われているのかどうか、未確認です。)無意識的な身振りや発声の模倣によって、ある集団の中で多くの身振りや発声が無意識のうちに共通のものになると推測します(まだ共有知になっているとは限りません)。ある身振りや発声の習得には、予測誤差最小化メカニズムが働いていると思います。(行為としての)身ぶりや発声の習得と同時に、それらに伴う一定の「行為連関」を学習することになるでしょう。

これは、身ぶりや発声の意味を学習することです。この学習は、まだ無意識的なものだと思われます。身ぶりや発声の模倣ができるようになると、それをエコー的にではなく、自発的に行うようになるでしょう。それは、身振りや発声にともなっている「行為連関」を自発的に引き受けるということです。例えば、「喜び」の身振りや発声、「怒り」の身振りや発声を自発的に行うとき、それにともなう「行為連関」を自発的に引き受けています。例えば、狩りの成功を喜ぶことは、狩りの成功を仲間と同じように受け取っていることを示し、喜びを共有しようとしていること、狩りのときに緊張していたこと示すことです。獲物をとりあって怒ることは、私によこせと要求することや、さもないと攻撃するぞと威嚇することを伴います。

このような身振りや発声が、<意識的なものになる>とき、それにともなう行為連関を伝えることを<意識的に行う>ことになります。つまり、<見かけ上の伝達>ではなく<意図的な伝達>になります。(ただし、以上はまだ私の全くの想像ないし思弁です。これを経験的に証明するにはどうしたらよいでしょうか。ここには、飛び越してしまった多くのステップが隠されており、それを明示化していく必要があります。そのなかで、経験的に証明できることも出てくるでしょう。)

次に、「伝達意図」の成立について考えてみようと思います。