116 論理学の公理と推論規則は、問答関係に依拠して設定できる (Axioms and rules of inference in logic can be established based on question-answer relationships.)(20240421)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

すでに111回「問答関係にもとづいて推論規則を正当化する」で説明したことなのですが、問答関係は、暗黙的な仕方で論理学の公理や推論規則をすでに含んでいます。したがって、論理学の公理と推論規則は、問答関係に依拠して設定できるのです。以下は、111回の記述と重複しますが、もう一度説明します。

 「pですか」という決定疑問の問いは、答えとして、「はい、pです」「いいえ、pではありません」のいずれかを想定しています。そして、その両方であることはないこと、またその両方でないことこともないこと、を想定しています。つまり、「pですか」という形式の決定疑問は、「pであるかpでないかのいずれかである」(p∨¬p)という排中律、「pでありかつpでない、ということはない」(¬(p∧¬p))という矛盾律をすでに想定していると言えます。また「問いのなかの「p」と答えの中の「p」が同一であること」(p≡p)という同一律もまた想定しています。

 「Sは何ですか」という補足疑問の問いは、もし答えが「SはFです」であるならば、答えは「SはFでない」ではないこと、「「SはFである」かつ「SはFでない」ということはない」(矛盾律)また「「SはFである」あるいは「SはFでない」のいずれかである」(排中律)を想定しています。また「問いの中の「S」と答の中の「S」が同一の対象を指示すること、つまり「SはSである」(同一律)を想定しています。

 

では、推論規則MPについてはどうでしょうか。111回でのこれについて説明は、全く不十分だったので、ここでは、別の仕方で論じたいと思います。注目したいのは「どうしたら」や「なぜ」の問答です。

 実践的推論は次のような形をとることが多いです。

  「どうしたら血圧がさがるだろうか」

  「塩分を控えるならば、血圧が下がる」

  「塩分を控えよう」

より一般化すれば次のようになります。

  「どうしたらAを実現できるだろうか」

  「Bならば、Aを実現できる」 

  「Bしよう」

・理論的な問答でも、疑問詞「どうしたら」や「なぜ」を用いる問答では、次のような形をとります。

  「なぜ道路が濡れているのか」

  「雨が降ったら、道路が濡れる」

  「雨が降ったからだろう」

より一般化すれば次のようになります。

  「なぜpなのか」

  「rならば、pである」

  「rであるから、pである」

このように、「どうしたら」や「なぜ」の問いは、p、p⊃r┣rという推論形式で答えることになることを想定しており、MPを内包していると言えます。

#では、問答関係と推論規則はどちらが先行するのでしょうか。

<問答関係が、暗黙的に公理や推論規則(同一律、矛盾律、MP)を前提している>のでしょうか、それとも<問答関係によって、公理や推論規則の妥当性(正しい使用法)が成立する>のでしょうか。

・もし推論規則を前提して、それにもとづいて問答関係を説明するのならば、その場合、問答関係の説明は原子論的なものになります。

・もし問答関係を前提して、そこから推論規則を説明するのならば、その場合、問答関係の説明は非原子論的(関係主義的)なものになります。

この前者、原子論的な説明順序では、推論は問答関係なしに成立することになりますが、しかしそれは不可能です。なぜなら、所与の前提から論理的に帰結する結論は複数ありえるので、それから一つを選択しなければ、現実の推論は成立しないのです。そしてその選択は、問いに対する答えを見つけることとして行われると考えることができるから、推論はむしろ問答関係に依存するのです。

したがって、後者の非原子論的(関係主義的)理解が正しいでしょう。つまり、<問答関係によって、公理や推論規則の妥当性(正しい使用法)が成立する>のです。

さて、論理的真理について定義依拠説をとるとしても、一見すると原子論的に見えるかもしれませんが、論理学の公理系についてのこのような問答関係主義的説明と両立すると考えます。

次に特定科学の公理系、また日常生活の推論の考察に向かいたいと思います。