[カテゴリー:問答の観点からの認識]
#存在判断の一部は知覚判断に還元されない
ある特定のもの、あるいは不特定のものが存在することを主張する判断を「存在判断」と呼ぶことにしましょう。存在判断には、知覚報告であるものと、知覚報告から間接的に導出されるものがあります。後者の存在判断は知覚報告に還元できません。
例えば「富士山が存在する」の場合、いつも新幹線の中から富士山を見ている者は、新幹線に乗って富士山を見たときに、富士山が存在することを確認したと思うでしょう。その人が富士山を見て、もし「富士山が存在する」と内言するなら、それは知覚報告でしょう。人は「赤い」と言う語とその色を知覚によって学習しますが、それと同様に、富士山を直接に見たり写真で見て、知覚によって、「富士山」という固有名とその対象を学習します。したがって、「それは赤い」がある状況で知覚報告でありうるならば、「あれは富士山だ」もある状況で知覚報告でありえます。
(写真で学習する場合については、もう少し説明が必要かもしれません。富士山の色々な写真で、「これが富士山だ」と学習した者は、富士山の写真を見て「これは富士山だ」と判断できるだろうし、実物を見たときに、それまで見た写真をもとに、「これが本門の富士山だ」と判断できるでしょう。これらは知覚報告です。ただし通常の知覚の場合、(素朴実在論をとるならば)知覚対象は物理的な対象そのものですが、写真の場合には知覚対象は、印刷された紙です。富士山とその写真の間には因果関係がありますが、富士山の写真を見すると、私は写真そのものを直接見ているのであり、ここにあるのは同一性であり、因果関係ではありません。脳科学が解明する知覚のプロセスは因果関係です。しかしそれは知覚されるものと知覚されたものの間の因果関係ではありません。脳科学の説明の中に知覚されたもの(富士山の知覚像のようなもの)は登場しないからです。これについては、07回~09回を参照してください。その個所をより詳細に説明する必要があります。その限りでそれはまだ仮説です。)
これに対して、「原子が存在する」の場合、この命題を前提して推論できる諸命題のうち、現象についての知覚報告となるものについて、その真理性を検証することによって、この存在命題を間接的に確証することができます。直接に知覚できない他の対象についての存在判断も同様です。その対象を前提することによって導出できる知覚報告を確認することによって、間接的にその対象の存在判断を確証できます。しかし、この確証は、これは知覚報告だけから成立するのではないので、この存在判断を知覚報告に還元することはできません。
不特定なものの存在判断については、どうでしょうか。例えば、「リンゴが机の上にある」は不特定な対象(不特定なリンゴ)の存在を主張する判断です。これは、不特定な対象(机の上にあるもの)についての「机の上にあるものは、リンゴである」という種述定判断と同値です。しかたがって種述定判断と同様に、これもまた知覚には還元できません。
#因果判断も知覚判断に還元されない
因果判断は、二つの出来事の間に因果関係が成り立つという判断です。これは知覚判断に還元できません。なぜなら出来事AとBの記述が、仮に知覚報告である(あるいは知覚報告に還元できる)としても、ヒュームが言うように、A→Bは知覚できないからである。AとBが因果関係にあるとき、ヒュームが言うように、AとBの間には、時間空間的な近接関係、時間的な前後関係、恒常的反復性、などがあるでしょう。しかし、これらについての判断が知覚報告に還元できたとしても、これらは必要条件であって、因果関係の十分条件ではありません。つまり、因果関係は知覚報告に還元できません。
次に、連言判断、選言判断、条件法などの複合判断を検討したいと思います。