24 問答推論における推論規則 (20210821)

カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

 前回述べた大きな欠陥は、導入規則と除去規則に関係しています。これまで論理結合子と疑問表現について、導入規則と除去規則を述べてきましたが、それらは、ゲンツェンの説明に依拠したものでした。つまり、論理結合子については、ゲンツェンの説明を踏襲し、疑問表現についてはそれを模倣し拡張して説明しました。しかし、ゲンツェンが示したのは、通常の論理学の自然推論系を構成するためのものでした。それに対して私がここでしなければならないのは、問答推論システムの自然推論系を構成するときに必要になる導入規則と除去規則です。したがって、これまで説明してきた導入規則と除去規則の見直しが必要になります。(おそらく論理的語彙と疑問表現の保存拡大性という結論を変える必要はないと思いますが、その時に依拠する導入規則と除去規則については修正の必要があるでしょう。)

 問答推論システムでは、通常の推論にはない疑問文を、結論の相関質問として、前提に加えることになります。

  Q、Γ┣p (Γは平叙文の列、pはQへの答え)

これが基本的な推論の形になります。従って、論理結合子の導入規則と除去規則も前に述べたものを修正する必要があります。前には次のように述べました。

  ∧の導入規則:p、r┣p∧r 

  ∧の除去規則:p∧r┣p

         p∧r┣r

これらは、それぞれ、次のようになるでしょう。

  ∧の導入規則:Q、p、r┣p∧r 

  ∧の除去規則:Q、p∧r┣p

         Q、p∧r┣r

Qの具体例としては、次のようなものが考えられます。

  ∧の導入規則:?(p∧r)、p、r┣p∧r 

  ∧の除去規則:?(p)、p∧r┣p

         ?(r)、p∧r┣r

この場合、∧の導入規則と除去規則を連続して適用するとどうなるでしょうか。

  ?(p∧r)、p、r┣p∧r 

  ?(p)、p∧r┣p

この二つを機械的に結合すれば、つぎのようになります。

  ?(p∧r)、p、r、?(p)┣p

結論pの相関質問?(p)を推論の最初に移します。

  ?(p)、?(p∧r)、p、r┣p

次に、p∧rが除去されたのだから、その相関質問?(p∧r)も除去すると次のようになります。

  ?(p)、p、r┣p

この推論は、冗長ではありますが、間違いではありません。そして、この推論は、「∧」を使用しなくても成り立つ推論です。したがって、「∧」は保存拡大性をもちます。

次に「∨」を検討しましょう。前に述べたのは、次のような規則でした。

  ∨の導入規則:p┣p∨r 

  ∨の除去規則:p∨r、p→s、r→s┣s

これらは、問答推論では、それぞれ、次のようになるでしょう。

  ∨の導入規則:Q、p┣p∨r 

  ∨の除去規則:Q、p∨r、p→s、r→s┣s

Qの具体例としては、次のようなものになるでしょう。

  ∨の導入規則:?(p∨r)、p┣p∨r 

  ∨の除去規則:?(s)、p∨r、p→s、r→s┣s

この場合、∨の導入規則と除去規則を連続して適用するとどうなるでしょうか。

  ?(p∨r)、p┣p∨r 

  ?(s)、p∨r、p→s、r→s┣s

これらを機械的に結合すれば、次のようになります。

  ?(p∨r)、p、?(s)、p→s、r→s┣s

結論の相関質問?(s)を推論の冒頭に移すと、次のようになります。

  ?(s)、?(p∨r)、p、p→s、r→s┣s

次に、p∨rが除去されたのだから、その相関質問?(p∨r)も除去すると次のようになります。

  ?(s)、p、p→s、r→s┣s

この推論も、冗長ではありますが、間違いではありません。そして、この推論は、「∨」を使用しなくても成り立つ推論です。したがって、「∨」は保存拡大性をもちます。

次に「→」を検討しましょう。以前には、次のように述べました。

  →の導入規則:p┣r ⇒ p┣r→p 

  →の除去規則:p→r、p┣r

これらは、問答推論システムでは、それぞれ、次のようになるでしょう。

  →の導入規則:Q1,p┣r ⇒ Q2,p┣r→p 

  →の除去規則:Q、p→r、p┣r

Qの具体例としては、次のようなものが考えられます。

  →の導入規則:?(r),p┣r ⇒ ?(r→p),p┣r→p 

  →の除去規則:?(r)、p→r、p┣r

この場合、→の導入規則と除去規則を連続して適用するとどうなるでしょうか。

  ?(r),p┣r ⇒ ?(r→p),p┣r→p 

  ?(r)、p→r、p┣r

これらを、機械的に結合すれば、次のようになります。

  ?(r),p┣r ⇒ ?(r→p),p、?(r)、p┣r

結論rの相関質問?(r)をそれぞれの推論の冒頭に移すと次のようになります。

  ?(r),p┣r ⇒ ?(r)、?(r→p),p、p┣r

次に、r→pが除去されたのだから、その相関質問?(r→p)も除去すると次のようになります。

  ?(r),p┣r ⇒ ?(r)、p、p┣r 

次に、後の推論の冗長な前提pを一つ除去すると次のようになります。

 ?(r),p┣r ⇒ ?(r)、p┣r 

この推論(より正確にはシーケント計算)も、冗長ではありますが、間違いではありません。そして、この推論は、「→」を使用しなくても成り立つ推論です。したがって、「→」は保存拡大性をもちます。

次に最後に残っている「¬」を検討したいと思いますが、これは少しむつかしそうなので、次回にします。

23 問答推論による表現の意味の明示化 (20210820)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

(前回の最後に「┣」の意味について論じると予告しました。『問答の言語哲学』では「┣」の意味について論じていませんでした。ゲンツェン、ベルナップ、ダメット、ブランダムが、論理的語彙として論じていたのは、論理結合子でした。彼らの議論では「┣」の考察が欠けていました。そこで「┣」の意味について論じると予告したのですが、通常の推論と問答推論では「┣」の意味が異なるので、問答推論の考察をもう少し進めた後に回すことにします。)

前回は、通常の推論による表現の意味の明示化について確認しました。ここでは、問答推論による表現の意味の明示化について説明したいと思います。

#まず疑問詞「何」の保存拡大性を説明します。

疑問詞「何」の導入規則と除去規則は次のようなものです。

  「その花はバラです」┣「その花の色は何ですか」

  「その花の色は何ですか?」、Γ┣「その花の色は、赤です」 (Γは平叙文の列)

この導入規則と除去規則を連続適用して得られる推論は、次です。

  「その花はバラです」、Γ┣「その花の色は、赤です」

この推論は、「その花の色は何ですか?」を使用しなくても可能なものです。したがって、「なに」は、保存拡大性を持ちます。

 しかし、この説明は、「何」の使用の一例を挙げて、それが保存拡大性をもつことを示しただけであり、一般的な証明になっていません。この例を少しだけ一般化すれば、次のようになります。

  「Xは性質Fをもちます」┣「Xの性質Fは、何ですか」

  「Xの性質Fは、何ですか?」、Γ┣「Xの性質Fは、aです」 (Γは平叙文の列)

この場合にも、「何」の保存拡大性が成り立つことが分かります。

これはまだ、一般的な証明として厳密なものとは言えないかもしれませんが、「何」の使用のほとんどの場合をカバーできると思います。

#次に「何」による意味の明示化を説明します。

  「べジマイトは何ですか?」、Γ┣「べジマイトは、オーストラリアの名物で、パンなどに塗って食べる黒い色のペースト状のものです」  (Γは平叙文の列)

この問答推論は、これは対象<べジマイト>の説明になっていますが、それと同時に、語「べジマイト」の意味の明示化にもなっています。

#最後に、問答一般による表現の意味の明示化を説明します。

疑問詞「どれ」の問答の例は次のようになります。

  「べジマイトはどれですか」、Γ┣「あのビンに入った黒いものが、べジマイトです」

これもまた対象<べジマイト>の説明であると同時に、語「べジマイト」の意味の明示化です。

つまり、問いに答えることは、問われている対象についての新情報の提供であると同時に、その対象を表示する言語表現の意味の明示化でもあります。問答によって、そこで使用されている言語表現の意味について新情報が得られるということがなくても、言語表現の意味の再確認が行われています。意味の再確認も、広い意味では意味の明示化に含めることができます。

 このような説明は、例による説明でしかありませんが、このように考えると疑問詞によって言語表現の意味を明示化できることは、ほとんど自明のことと思われます。しかし、このような説明には大きな欠陥があることに気づきました。それを次に説明します。

21推論による表現の意味の明示化とはどういうことか (20210818)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

前々回の最後に次のように言いました。

「以上によって、問答推論によって論理的語彙と疑問詞と疑問文形式によって、他の言語表現の意味が変わることはなく、それゆえに他の言語表現の意味を明示化できることを説明できます。また、問答推論よって事実を記述する言語表現の意味が変化しないからこそ、問答推論によって事実を解明できることを説明できます。」

これにはもう少し説明が必要でした。

ここでは、まずこれの前半部分、つまり「問答推論による表現の意味の明示化」のさらに一部「推論による表現の意味の明示化」について説明をしたいと思います。

 形式的な推論は、そのたの言語票の意味を変えません。言い換えると、その他の言語表現の意味にとは独立に、形式的な推論が成立します。例えばp∧r┣pという推論は、pやrの内容に関係なく成立するものであり、それゆえに、pやrの内容に影響を与えませんが、逆にその内容を明示化するのにも役立ちません。

 では、推論が、語の意味の明示化に役立つというのは、どのような場合でしょうか。ブランダムが挙げている例は、

  「雨が降るならば、道路が濡れる」

という推論です。これを条件法の文ではなく、推論の例として挙げています。これを推論らしく書き換えると次のようになるでしょう。

  雨が降る。┣ 道路が濡れる。

これは論理学で習うような形式的推論ではありません。しかし、私たちは、このようなタイプの推論を頻繁に行います。例えば「今日は水曜日だから、あの店は閉まっているだろう」とか、「彼は銀行員だから、仕事中はネクタイをしているだろう」などです。このような推論をブランダムは「実質的推論」と呼びます。例えば上の「雨」の推論は、「雨が降る」という文の除去規則を述べていると見ることもできますし、「道路が濡れる」という文の導入期測を述べていると見ることもできます。これらの推論は、それぞれの文についての正しい下流推論や上流推論を示しています。それゆえに、こうした実質推論は、文の意味や、その文で使用される語の意味を明示化しているといえるのです。

 しかし、この実質的推論では、論理的語彙は使用されていません。したがって、論理的語彙の保存拡大性のために、論理的語彙が意味の明示化に役立つという説明にはなりません。その説明のためには、次の例を挙げることができます。

  Aは動物であり、かつ、Aは理性的である。┣Aは人間である。

  Aは人間である。┣Aは動物であり、かつAは理性的である。

これは、「Aは人間である」の除去規則と導入規則であり、この文の意味の明示化になっています。これらは二つを合わせれば、語「人間」の通常の明示的定義になります。つまり通常の明示的定義は、論理結合子をもちいた語の導入規則と除去規則とみなすことができます。

 また明示的定義ができない語についても、その導入規則や除去規則を示して意味を明示化することができます。

  Aは、フジである、あるいは、紅玉である、あるいは、マッキントッシュである。┣ Aはリンゴである。

  Aはリンゴである。┣ Aはバラ科であり、かつ高木である。

これはそれぞれ「Aはリンゴである」の導入規則と除去規則です。これらによって「リンゴ」の意味を定義することはできませんが、明示化できます。(ちなみに、これらによって「リンゴ」の意味を定義できないことを理解しているということは、リンゴには、フジ、紅玉、マッキントッシュ、以外のものがあるかもしれないことを知っているということであり、バラ科の高木にはリンゴ以外のものがあるかもしれないことを知っているということです。つまり、上記の二つの実質推論以上のことを、「リンゴ」について知っているということです。BがAの定義項ではないと知ることは、Aについてのある推論(例えば「Aはリンゴである┣ Aは、フジである、あるいは、紅玉である、あるいは、マッキントッシュである」)を正しくないものとして理解するということであり、Aの意味理解の重要な要素です。)

 次は、推論が、ある表現の導入規則でも除去規則でもないけれども、その表現の意味の明示化になっている例です。

  AはBの西にあり、かつ、BはCの西にある。┣ AはCの西にある。

ここでは、論理結合子「かつ」の使用によって、「の西にある」という表現の意味が明示化されています。これは、「の西にある」という表現の導入規則でも除去規則でもありません。これは、表現が持つ推移性の明示化の例です。(反射性、対称性についても、同様の例を挙げることができます)。ただし、これもまた「の西にある」に関する実質的推論です。この推論によって、この表現の意味が明示化されていることは、「かつ」の保存拡大性によって保証されます。

 以上は『問答の言語哲学』(pp.65-68)で説明したことへの補足です。しかしそこでは「┣」の意味について論じていませんでした。それを次に考えたいと思います。

20 疑問詞「なぜ」の導入規則と除去規則 (20210816)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

前回、疑問表現の導入規則と除去規則を説明しましたが、疑問詞「なぜ」についての説明を忘れていましたので、それを補いたいと思います。『問答の言語哲学』第二章(pp120-121)で説明したことですが、「なぜ」の問いは、他の問いとは異なり、命題ではなく、推論そのものを答えとして求めている問いです。そして、この問いは次の三種類(出来事の原因を問う「なぜ」、行為の理由を問う「なぜ」、主張の根拠を問う「なぜ」)に区別できます。以下では、この三つ分けて説明します。

#出来事の原因の「なぜ」について

「p」が正しいことを知っていても、出来事pの原因を知らないので、それを問うことはあり得ます。

<原因の「なぜ」の導入規則>

  p┣「なぜpなのか?」

<原因の「なぜ」の除去規則>

  「なぜpなのか?」┣ Γ→p

<原因の「なぜ」の保存拡大性>

この導入規則と除去規則を連続適用すると、次の推論になります。

   p┣Γ→p

これは、pやΓを構成する命題の意味に関係なく成立しますから、原因の「なぜ」の問いがなくても可能な推論であり、原因の「なぜ」は保存拡大性をもちます。

#行為の理由の「なぜ」について

「p」(「p」は行為を表現する命題)が正しいことを知っていても、行為pの理由を知らないので、それを問うことはあり得ます。

<行為の「なぜ」の導入規則>

  p┣「なぜpなのか?」

<行為の「なぜ」の除去規則>

  「なぜpなのか?」┣ Γ→p

<行為の「なぜ」の保存拡大性>

この導入規則と除去規則を連続適用すると、次の推論になります。

  p┣Γ→p

これは、pやΓを構成する命題の意味に関係なく成立しますから、行為の理由の「なぜ」の問いがなくても可能な推論であり、行為の理由の「なぜ」は保存拡大性をもちます。

{この除去規則には、フレーゲ・ギーチ問題(真理値を持たない命題(「べき」「したい」などの概念を含む命題)の推論の妥当性についての説明の問題)に関係するので、ここで十分な説明のためには、フレーゲ・ギーチ問題の解決が必要です。これについては、別に改めて検討します。}

#主張の根拠の「なぜ」の問いについて

原因の「なぜ」や理由の「なぜ」とは異なり、主張の根拠の「p」が正しいことを知っているのに、主張「p」の根拠を知らないのでそれを問うということはありえません。なぜなら、根拠を知らなければ、「p」が正しいことが分からないからです。しかし、主張「p」について、「なぜ「p」なのか?」と問うことはあり得ます。それはどういう場合でしょうか。言い換えると、<「p」が正しいことを知っているが根拠を知らない>というのは、どういう場合でしょうか。それは、例えば次のような場合です。

  場合1:信頼する人から「p」が正しいと教えられた場合。

  場合2:「¬p」が他の命題と矛盾するので、「p」が正しいと考えるが、しかしその根拠を知らない場合。

(おそらくこれら以外の場合もあるでしょう。)

<主張の「なぜ」の導入規則>

  p┣「なぜpなのか?」

<主張の「なぜ」の除去規則>

  「なぜpなのか?」┣ Γ→p

<主張の「なぜ」の保存拡大性>

この導入規則と除去規則を連続適用すると、次の推論になります。

  p┣ Γ→p

これは、pやΓを構成する命題の意味に関係なく成立しますから、主張の根拠の「なぜ」の問いがなくても可能な推論であり、主張の根拠の「なぜ」は保存拡大性をもちます。

19 疑問表現の導入規則と除去規則(20210815)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

前回述べたように、推論は問いを前提します。本書では、問答推論的意味論では、(ブランダムの推論的意味論を拡張する仕方で)、発話の意味を理解するとは、正しい上流問答推論と正しくない上流問答推論を判別でき、正しい下流問答推論と正しくない下流問答推論を判別できることだと説明しました。この推論関係によって表現の意味を明示化できるのは、(ここでもまたブランダムの推論的意味論を拡張する仕方で)、問答推論を行っても他の語彙の意味が変化することはないからだと説明しました。推論をおこなっても他の言語表現の意味を変えないことは、(ブランダムが指摘したように)論理的語彙が保存拡大性をもつことによって説明できます。問答推論によって他の言語表現の意味が変わらないことについては、この論理的語彙に加えて、疑問表現が保存拡大性をもつことを示す必要があります。これについては、『問答の言語哲学』pp. 70-75で疑問詞の導入規則と除去規則とそれらの保存拡大性を説明しました。この説明は、問答推論的意味論や現在考察中の問答推論的認識論にとって重要なものですので、ここでその説明を少しだけ改善して、再説したいと思います。

#疑問詞の導入規則

<疑問文Qに含まれる疑問詞wの導入規則>

p┣ Q

(Qは疑問詞wを含む補足疑問であり、pは平叙文であり、pはQが健全であるための十分条件です。)

具体的には次のようになります。

<「どれ」と「だれ」と「どこ」の導入規則>

 「Fであるものが存在する」┣「どれがFですか?」

 「Fである人が存在する」┣「だれが、Fですか?」

 「pが発生する場所が存在する」┣「pはどこで発生しますか?」

#疑問詞の除去規則

疑問詞を除去する最も重要でありふれた方法は、補足疑問文に答えることです。

<Qに含まれる疑問詞のwの除去規則>

 Q、Γ┣ r

(Qはwを含む補足疑問文であり、Γは平叙文の列であり、rはQの真ある答えです。)

もう少し限定した形式にすると次のようになります。 

 <「どれ」と「だれ」と「どこ」の除去規則>

「どれがFですか?」、Γ┣ 「aはFです」

   「だれが、Fですか?」、Γ┣ 「bは、人間でありかつFである」

「pはどこで発生しますか?」、Γ┣ 「cは場所であり、かつcでpが発生する」

補足疑問文「どれがFですか」の場合、導入規則と除去規則は次です。ある。

   「Fであるものが存在する」┣「どれがFですか?」

「どれがFですか?」、Γ┣ 「aはFです」

この二つの連続適用すると、次の推論になります。

   「Fであるものが存在する」、Γ┣ 「aはFです」

この推論は、補足疑問文がなくても可能な推論です。それゆえに、この決定疑問文は保存拡大性を持ちます。

#決定疑問文の保存拡大性

次に、決定疑問文の使用の保存拡大性を説明します。

「これはリンゴですか」の導入規則は次のようになります。

   「これは果物です」┣「これはリンゴですか?」

「これはリンゴですか?」の除去規則は次のようになります(Γと⊿は平叙文の列)。

   「これはリンゴですか?」、Γ┣「これはリンゴです」 

   「これはリンゴですか?」、⊿┣「これはリンゴではありません」

この二つを連続適用すると、次の推論になります。

   「これは果物です」、Γ┣「これはリンゴです」

あるいは、

   「これは果物です」、⊿┣「これはリンゴではありません」

これらの推論は、決定疑問文がなくても可能な推論です。それゆえに、この決定疑問文は保存拡大性を持ちます。

より一般的に説明すると次のようになります。

?pの導入期測として、

  r┣?p  (rは?pが正しい答えをもつための充分条件)

?pの除去規則として、

  ?p、Γ┣p

  ?p、⊿┣¬p

を仮定します。このとき、導入規則と除去規則を連続適用すると、次の推論になります。

   r、Γ┣p

   r、⊿┣¬p

これらの推論は、決定疑問文がなくても可能な推論です。それゆえに、この決定疑問文は保存拡大性を持ちます。

以上によって、問答推論によって論理的語彙と疑問詞と疑問文形式によって、他の言語表現の意味が変わるとはなく、それゆえに他の言語表現の意味を明示化できることを説明できます。また、問答推論よって事実を記述する言語表現の意味が変化しないからこそ、問答推論によって事実を解明できることを説明できます。

18 推論は問いを必要とする (20210814)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

#推論は問いを必要とする。

『問答の言語哲学』第一章の主張は、推論的意味論を問答推論的意味論へ展開することです。その根拠となるのは、「推論は問いを必要とする」という主張です。本書では、これを理論的推論と実践的推論の事例をあげて説明しました。しかし、一般的な論理的な証明は行いませんでした。その理由は、事例からその主張の正しさは明白になると考えたからです。しかし、やはり論理的な一般駅な証明が必要だと考えます。

 「推論は問いを必要とする」の証明は、次のような推論になるでしょう。

①ある所与の諸命題を前提とするとき、それらから論理的に必然的に帰結する命題、言い換えるとそれらの前提がすべて真であるときに必然的に真となる命題は、常に複数ある。

②複数の命題の中から一つを結論として選択することで推論が成立する。

③推論における結論の選択は、問いに答えることである。

ゆえに、

④推論は問いを必要とする。

この①②③を証明すれば、④の証明ができます。

#①の証明

①を証明するには、基本的な推論規則のそれぞれについて①が成り立つことを証明するしかないでしょう。例えば、→の消去規則は次の推論です。

   p,p→r┣r

この推論と同じ前提から、つぎのような結論を導出することが可能です。

   p,p→r┣rⅤs

   p,p→r┣p

   p,p→r┣p∧r  

   p,p→r┣pⅤr

   p,p→r┣pⅤs

他の導入規則や除去規則についても同様にして、多様な結論が導出可能です。

なお、論理結合子の導入規則と除去規則は、ゲンツェンが挙げているもの以外にも可能であるかもしれません。例えば、

   p,p→r┣p∧r

これを→除去の論理規則とし、これにp∧r┣rという∧除去の規則を適用して。

   p,p→r┣r

を導出された規則とみなすことも可能です。つまり、次の二つの推論のいずれを→の除去規則とすることも可能です。

   p,p→r┣p∧r

   p,p→r┣r

どのような基本導出規則の集合を設定するかは、論理的にはおそらく任意でしょう。

#②は自明であり、証明の必要はないでしょう。

#③の証明

証明1:本書での証明

「問いの答えを見つけるプロセスには、次の二通りがある。一つは、これまで念頭に説明してきたものであり、<ある問いに対する答えを見つけようとして、すでに知っている知識を前提として、そこから推論によって答えを求めようとする場合>である。もう一つは、これまで言及してこなかったものだが、<問いに対するある暫定的な答えないし答えの予想をえて、それを証明するために、それを結論とする推論を考える場合>である。この後者の場合には、推論の前提に先立って、まず結論が不確実なものとして与えられ、それを確実なものとして証明するために推論を構成しようとして利用できる前提を探すことになる。この場合にも、当初の不確実な命題は問いの答えとして想定されるのであって、<推論は問いの(確実な)答えを求めるプロセスである>といえるだろう。私たちが推論する場合としては、この二通りしかないだろう。」(『問答の言語哲学』p. 9)

上記をまとめると、私たちが推論するのは次の二つの場合です。

場合1:<ある問いに対する答えを見つけようとして、すでに知っている知識を前提として、そこから推論によって答えを求めようとする場合>

場合2:<問いに対するある暫定的な答えないし答えの予想をえて、それを証明するために、それを結論とする推論を考える場合>

もし私たちが、推論するのは、本当にこの二通りしかないのだとすると、どちらの場合にも、<推論は問いの(確実な)答えを求めるプロセスである>と言えるので、③が成り立つでしょう。ちなみに、場合1では、相関質問は補足疑問になり、場合2では、相関質問は決定疑問になります。

証明2:

「全ての選択は、問いに答えることである」が証明できれば、それにもとづいて③「推論における結論の選択は、問いに答えることである」を導出できます。「全ての選択は、問いに答えることである」は、次のように証明できます。

 「Aをするかしないか」というもっとも単純な選択の場合、例えば朝目覚めた時、「起きるか起きないか」の選択をします。迷い続けるとすれば、起きないことを選択していることになります。その意味で、朝目覚めた時、起きるか起きないかの選択は不可避です。この選択は「起きようか、もうすこし寝ようか?」という問いに答えることとして行われます。

 選択肢がより多い場合も同様です。たとえば<Aを選択するか、Bを選択するか、Cを選択するか>という選択肢からの選択の場合、この選択は、「Aを選択するか、Bを選択するか、Cを選択するか、何も選択しないか?」という問いに答えることになるでしょう。

補足:選択が可能になる条件は、次のようなことです。

  <ある事柄を選択することが可能であると信じること>

これは、次と同じです。

  <ある選択肢を理解していること>

ここで次の二つの関係を考えてみましょう。

①選択が可能であること

②選択が可能であると信じていること

②が成立しなければ、選択は不可能です。ゆえに②は①にかならず伴っています。しかし、逆に②が成立していても、①が成立しているとは限りません。例えば、私は、ケーキを一個買うことも二個買うこともできると信じているのだが、財布の中には一個かうお金しかない場合には、一個買うか二個買うかの選択はできません。

そして、重要なことは、<選択が可能であると理解するとき、選択は不可避になる>ということです。なぜなら、それらのどれも選択しないことも一つの選択になるからです。

17 言語の起源と問答 3 (20210411)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

言語の起源の説明が課題でした。そして、「言語は、問いに対して答えることに始まる」というのが提案でした。言語に特徴的なことの一つは、ある意図を伝達することによって、同時にその意図が実現するということにあると思われます。「関連性理論」にしたがって、ある意図を伝達しようとする意図を「伝達意図」と呼ぶことにします。では、このような伝達意図は、どのようにして発生するでしょうか。これが最初に発生するのは、他者の問いかけに答えようとするときではないでしょうか。他者から何かを問いかけられたと考える時、それに応答する行為は、不可避的に、他者に自分の返答を伝える行為、つまり自分の何らかの意図を伝えようとする行為になってしまいます。したがって、問いかけに対する返答は、伝達意図をもつことになり、このような伝達意図なしに、問いかけに答えるということは不可能です。伝達意図をもつ発話行為は、他の場合にもありうるかもしれませんが、問いかけに応答する場合に特徴的なのは、伝達意図を持つことが不可避になるということです。問われたときには、それに答えることが不可避になるということ、これを「問答の不可避性」と呼ぶことにしました。

 「問答の不可避性」について改めて考えてみたいと思います。問いかけは不思議な力を持っています。「一緒にキャンプに行きませんか?」と問われたら、「はい」か「いいえ」かの返事を迫れることになります。もちろん、「少し考えさせてください」と返事することができ、それは「はい」でも「いいえ」でもありませんが、それもまた一つの返事です。黙っていれば、おそらく「いいえ」という返事をするのと同じことになるでしょう。つまり、「一緒にキャンプに行きませんが?」と問われたら、不可避的に何らかの返事をすることになるのです。

 (言語が浸透している集団の中では、質問でなく、他の発言でも、その発言に応答することが不可避になります。質問でなく「熊だ!」という発話の場合も同様であり、どのように発言しようと、あるいは無視しようと、それは「熊だ!」という発言への応答になってしまいます。言い換えると、全ての発話は、応答を求めており、それに続く発話は、それへの応答であるという意味を持ってしまいます。これは『問答の言語哲学』第三章で述べたことです。)

 次は、問答の不可避性ではなく、選択の不可避性の例です。

 キャンプしていて、テントのそとでガサガサ音がすれば、動物かもしれないと思い、その音が大きく、また鼻息まで大きく聞こえてくれば、熊であることがまだ確実ではないとしても、その可能性を考えて、それに対応した行動をとるでしょう。たとえば、逃げる用意をするとか、熊よけスプレーを準備するでしょう。ここで、いくつかの行動の選択肢を思いついたとき、その中からどれかを選択することは不可避です。いくつかの選択肢の中のどれも選択しないとすれば、そのこともまた一つの選択肢であったということになります。

 また例えば、大学生協で食券の券売機に並んで、自分の順番が来たときには、食券を買うことをやめて立ち去ることもまた一つの選択肢だとすれば、そこで何も選択しないことは不可能です。行為の選択肢が思い浮かんだ時には、何らかの選択することは不可避になります。

 このような選択の不可避性が、他者への応答に関して生じる時、問答の不可避性が成立します。他者に問いかけられたと思ったときには、実際に問いかけられていなかったとしても、その問いかけにたいして何らかの応答を選択することは不可避になります。つまり、実際には相手に問いかけるという能力がなかったとしても、ひとが相手に問いかけられているかもしれないと思ったならば、そのときには、応答すること、つまり、伝達を意図することが不可避に生じるのです。つまり、不可避に言語が生じるのです(グライスの言う非自然的に意味することが、不可避に生じるのです)。

 では、ひとが問いかけられている(あるいは、問いかけられているかもしれない)と思うことは、どのようにして発生するのでしょうか。

16 言語の起源と問答 2 (20210407)

【カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

人間の言語活動にあって、動物の言語にないものは何かと問われれば、語による指示、伝達意図、問答関係、などを挙げることができるでしょう。チンパンジーに指示ができないことについては、次を参照してください(http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/nikkei/42-2016-03-06.html )『関連性理論』のスペルベル&ウィルソンならば、動物は伝達意図を持たないと言いそうです。

#では、この伝達の意図の認識は、どのように生じるでしょうか。言葉を話すということは、何かを伝達しようとすることです。それゆえに、単なる発声ではなく、言葉を話しているとわかれば、それが伝達意図をもつと想定できます。

 ただしこれは、すでに言語が成立している社会でのことです。いまだ言語が一般的でない社会では、相手の伝達意図の認識は、どのように生じるのでしょうか。こちらからの問いかけに対して、相手の発声があるとき、相手の発声は何らかの伝達意図をもっているのかもしれないと推測できます。(ここで、相手の発声の伝達意図を推測できる者は、すでに伝達意図についての概念を持っていなければなりません。)

#伝達意図の条件

普通は、他者が自分を喜ばせようと意図していることを知って、人は嬉しくなるでしょう。しかし、その他者がストーカーであれば、彼・彼女が自分を喜ばせようと意図していることを知っても、その人は嬉しくなりません。<Aを実現しようという意図を知らせることによって、Aが実現する>ということが成り立つための条件は何でしょうか。

 AがBを喜ばせようと意図1するとしましょう。このAの意図1を知って、Bが喜ぶのは、どのような場合でしょうか。BがAをストーカーだと思っている時には、BはAの意図1を知っても不快に感じるでしょう。AがBを喜ばせようと意図するとき、AはBを喜ばせることができると信じています。しかしBは、「AはBを喜ばせることができる」とは思っていません。ここでは、意図の前提を共有していないので、Aの意図を伝達しても、「喜ばせよう」というAの意図は実現しないのです。

 威嚇についても同様です。多くの場合、AがBを威嚇しようとする意図を伝達するだけで、Bは怖れを感じて、威嚇しようとするAの意図は実現します。しかし、この場合にも、そうなるためには、Aの意図の前提「AはBを威嚇できる」をBもまた共有している必要があります。それを共有していなければ、BはAの意図を知っても、怖れを感じないでしょう。

 意図の伝達が意図の実現になるためには、意図の前提を共有していなければなりません。<意図の前提の共有>は、意図の伝達が意図の実現になるための、必要条件です。(では、十分条件はなにでしょうか。)

 スペルベルとウィルソンは、相手を喜ばせようとする意図は、その意図が伝わるだけで相手を喜ばせることになり、相手を脅迫しようとする意図は、それが伝わるだけで相手を脅迫することになる、と語った後で、次のように続けます。「このような可能性が例外的にではなく、常に利用される類の意図がある。すなわち、情報を伝えようとする意図は一般的にそれを認識可能にすることで達成されるのである」 (スペルベル&ウィルソン『関連性理論』内田聖二他訳、研究社出版、25)

 ここでは、情報意図は、つねにそれを伝達することで実現する、と言われています。情報意図が、伝達されることで実現することは、次のように説明出来ます。

①話し手Sが、聞き手Hにpを信じさせようと意図1(情報意図)して、pと話すとしよう。

②Sが、意図1をHが認知することを意図2している(意図2は、意図1を伝達しようと意図している伝達意図である)

③Sは、Hが意図1の認知にもとづいて、pを信じることを、意図3する。

情報意図が伝達されることで実現するのは、この③による、と考えられています。しかし、③の意図が実現するには、聞き手が、話し手の知的な能力と誠実性を信頼していることが必要です。<知的な能力と誠実性への信頼>は、集団生活の中で育まれるものでしょう。<知的な能力と誠実性への信頼>のない集団では、言語は発生しないでしょう。そしてそのようなヒトの集団は人類の進化のプロセスにおいて淘汰されるでしょう。<知的な能力と誠実性への信頼>は、グライスの「協調の原理」、デイヴィドソンの「寛容の原理」に似たものです。

 ところで、問答関係の不可避性は、「協調の原理」や「寛容の原理」よりも、より基礎的なものであると考えます(『問答の言語哲学』「3.3.4問答の不可避性」を参照)。問答関係の不可避性と伝達意図の関係を次に考えたいとおもいます。

15 言語の起源と問答 (20210406)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

(前回までは、『問答の言語哲学』の内容紹介をしてきました。ご批判、ご質問をぜひお願いします。ブログのコメント欄に書きにくければ、(philosophy(アット)irieyukio.net へ)メイルを送ってください。

今回からは、ご意見への回答、この本で書き残したこと、あるいは出版後に言語に関して考えたことを少しずつ書いていきます。)

チョムスキーは人間の言語に共通の普遍文法を想定し、それに対応する生得的な言語能力の存在を想定していましたが、人間とは異なるコミュケーション方法をとる知性システムがあるかもしれません。その知性システムは、人間の言語能力とは異なるメカニズムを持つかもしれません。しかし、その場合でも、おそらく言語は他者とのコミュニケーションに基づいているでしょうから、人間とは異なるコミュニケーションシステムであっても、関連性理論が指摘した「情報意図」と「伝達意図」の区別があるだろうと推測します。(この二つの意図については、『問答の言語哲学』第2章で論じました。)鳥のさえずりや狼の遠吠えには、ひょっとすると情報意図はあるかもしれませんが、伝達意図はないと思われます。人間の言語ないしそれに似た言語システムが成立するためには、伝達意図の成立が不可欠です。

二日前に別のカテゴリーで、思弁的な予測として次のように言いました。

<言語の始まりは、問いと答えの成立になると思います。言語は、他者に伝えようと意図することに始まります。その意図が明示的になるのは、問いに対して答える時です。相手が何かを求めて発声し、それに応えて発声するとき、その発声は、相手の求めに対する応答であると同時に、応答であることを相手に伝えようと意図するものになります。>

ここでの伝達意図の発生についての予測を、もう少し詳しく説明したいとおもいます。

相手が何かを求めて発声していると思うとき、相手の発声についてのその理解が正しくなかったとしても、私はそれにどう対応すべきかを考えて応答する必要があります。相手が何かを求めて発声しているのかもしれないと疑うだけでも、私にはどう対応すべきかを考える必要が生じます。そして、相手に対する応答は、何らか内容を相手に伝えようとしているのだと思わる可能性をもちます。つまり、伝達意図を持ってしまうのです。つまり、伝達意図は、相手の問いかけに答えようとすることにおいて成立するのです。もし、言語が伝達意図の成立によって成立するならば、言語は相手が何かを問いかけているかもしれない思ったときに、それへの応答において成立するのです。

・相手が何かを伝えようとしていると考える時、それが仮に間違っていたとしても、相手の伝達意図を想定して、それに答えることが必要になります。なぜなら、相手の伝達意図を理解して、それを無視したと理解される可能性があるからです。伝達へのコミットメントが不可避に生じるのです。

・問答において、互いの伝達意図は明示化されています。なぜなら、問いに答える時には、答える者に答える意図があるならば、答える者には、伝達意図があるからであり、また問う者が、相手に答えを求める意図があるならば、問う者には、伝達意図があるからです。

14 あとがきのあとがき (20201122)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

 前回で第1章から第4章の内容紹介が終わりました。

 本書で採用した推論主義的アプローチの基本は、命題の意味をその上流推論関係と下流推論関係によって明示化するということにありました。本書では、この推論主義アプローチを、問答推論関係へ拡張し、発話の意味や言語行為にも展開することを試みました。

 本書における問答の言語哲学の研究が、どういう意味を持つかは、そこからどのような下流推論が可能になるか、つまりそれを認識、実践、社会問題に適用するときに何が帰結するか、に依存するでしょう(とりあえずは、問答推論主義アプローチを認識に適用することが私の次の仕事になります)。本書に残されている課題としては、問答の観点から照応関係、文法構造を考察すること、問答論理学の形式化などがあるが、これらは、本書の議論にとっての上流推論を仕上げるという課題になるでしょう。

本書が成立するには、多くの先人の仕事、多く研究者や学生からの刺激が必要だったのですが、この関係は、本書成立の上流推論となっています。本書がどのような下流推論を持つことになるのかは、読者の方々がそこから何をくみ取ってくださるかにかかっています。本書の意味は、このような上流推論関係と下流推論関係によって明示化されることになります。

一つの命題の意味がそれだけで成立するのではなく、他の命題との関係の中で成立するのと同様に、書物の意味もまた一冊だけで成立するのではなく、他の書物との関係(インターテクスチャリティー)の中で成立します。作品の意味は、またジャンルを超え、媒体を越えて、他の作品と問答推論関係を持っています。人間の生きる意味もまた、他の人との関係の中で、また関係を越え、共同体を越え、時代を越えて、他の人々と問答推論関係のなかで構成され明示化されると思います。今後もこのように偏在する問答推論関係を分析したいと思っています。

ご批判、ご質問、感想をお待ちしています。