17 言語の起源と問答 3 (20210411)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

言語の起源の説明が課題でした。そして、「言語は、問いに対して答えることに始まる」というのが提案でした。言語に特徴的なことの一つは、ある意図を伝達することによって、同時にその意図が実現するということにあると思われます。「関連性理論」にしたがって、ある意図を伝達しようとする意図を「伝達意図」と呼ぶことにします。では、このような伝達意図は、どのようにして発生するでしょうか。これが最初に発生するのは、他者の問いかけに答えようとするときではないでしょうか。他者から何かを問いかけられたと考える時、それに応答する行為は、不可避的に、他者に自分の返答を伝える行為、つまり自分の何らかの意図を伝えようとする行為になってしまいます。したがって、問いかけに対する返答は、伝達意図をもつことになり、このような伝達意図なしに、問いかけに答えるということは不可能です。伝達意図をもつ発話行為は、他の場合にもありうるかもしれませんが、問いかけに応答する場合に特徴的なのは、伝達意図を持つことが不可避になるということです。問われたときには、それに答えることが不可避になるということ、これを「問答の不可避性」と呼ぶことにしました。

 「問答の不可避性」について改めて考えてみたいと思います。問いかけは不思議な力を持っています。「一緒にキャンプに行きませんか?」と問われたら、「はい」か「いいえ」かの返事を迫れることになります。もちろん、「少し考えさせてください」と返事することができ、それは「はい」でも「いいえ」でもありませんが、それもまた一つの返事です。黙っていれば、おそらく「いいえ」という返事をするのと同じことになるでしょう。つまり、「一緒にキャンプに行きませんが?」と問われたら、不可避的に何らかの返事をすることになるのです。

 (言語が浸透している集団の中では、質問でなく、他の発言でも、その発言に応答することが不可避になります。質問でなく「熊だ!」という発話の場合も同様であり、どのように発言しようと、あるいは無視しようと、それは「熊だ!」という発言への応答になってしまいます。言い換えると、全ての発話は、応答を求めており、それに続く発話は、それへの応答であるという意味を持ってしまいます。これは『問答の言語哲学』第三章で述べたことです。)

 次は、問答の不可避性ではなく、選択の不可避性の例です。

 キャンプしていて、テントのそとでガサガサ音がすれば、動物かもしれないと思い、その音が大きく、また鼻息まで大きく聞こえてくれば、熊であることがまだ確実ではないとしても、その可能性を考えて、それに対応した行動をとるでしょう。たとえば、逃げる用意をするとか、熊よけスプレーを準備するでしょう。ここで、いくつかの行動の選択肢を思いついたとき、その中からどれかを選択することは不可避です。いくつかの選択肢の中のどれも選択しないとすれば、そのこともまた一つの選択肢であったということになります。

 また例えば、大学生協で食券の券売機に並んで、自分の順番が来たときには、食券を買うことをやめて立ち去ることもまた一つの選択肢だとすれば、そこで何も選択しないことは不可能です。行為の選択肢が思い浮かんだ時には、何らかの選択することは不可避になります。

 このような選択の不可避性が、他者への応答に関して生じる時、問答の不可避性が成立します。他者に問いかけられたと思ったときには、実際に問いかけられていなかったとしても、その問いかけにたいして何らかの応答を選択することは不可避になります。つまり、実際には相手に問いかけるという能力がなかったとしても、ひとが相手に問いかけられているかもしれないと思ったならば、そのときには、応答すること、つまり、伝達を意図することが不可避に生じるのです。つまり、不可避に言語が生じるのです(グライスの言う非自然的に意味することが、不可避に生じるのです)。

 では、ひとが問いかけられている(あるいは、問いかけられているかもしれない)と思うことは、どのようにして発生するのでしょうか。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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