54 論理的関係の明示化と明示化以前の関係 (20230516)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

前回、「両立不可能性」や「帰結」の関係は、同一の問いに対する二つの答えの関係として成立することを説明し、それに対して次のような批判が予測できることを述べました。

<二つの命題の「両立不可能性」や「帰結」の関係が明示化されるためには、同一の問いに対する答えであることが必要であるけれども、それらが異なる問いの答えになっているときにも、「両立不可能性」や「帰結」の関係は暗黙的に成立しているのではないか。> 

今回はこの批判に答えたいと思います。同一の問いをもつ二つの問答によって、二つの命題の両立不可能性が明示化されますが、この批判がいうように、その両立不可能性は問答の前にも暗黙的に成立しているのでしょうか。

もし<命題の概念関係が、問答とは独立に成立しており、問答が命題の概念関係を変えない>とすると、この批判が言うように問答の前にも両立不可能性が成立していることになるでしょう。

しかし、<命題の意味は相関質問との関係において成立する>とすると、命題の概念関係もまた相関質問との関係において成立し、それゆえに命題の概念関係は問答とは独立に成立していないことになります。私は、この立場を取りたいと思います。

しかし、この場合、<上記の問答の前には両立不可能性は成立していない>ということではありません。現実に問答が行われていないときも、もし問答③の問いが問われたならば、その答えが答えられるだろう、という反事実的条件法は成立しているだろうと考えます。この意味で、問答関係が暗黙的には成立していると考えます。このように考えるならば、両立不可能性も暗黙的に成立していることになります。だだし、それは問答とは独立に成立しているのではありません。両立不可能性を明示化する問答が暗黙的に成立しているのです。

 上記の批判は、「疑問表現の保存拡大性」とも関係していますので、次回に、疑問表現と論理的語彙の保存拡大性について考察して、その後この批判について別の角度から考察したいと思います。