01: 行為の意味としての人生の意味 (20201125)

[カテゴリー:哲学的人生論(問答推論主義から)

(初回01から03まで、私の大学での最後の秋冬学期講義の最終回(20190213)(https://irieyukio.net/KOUGI/tokusyu/2018WS/2018ws14Last.pdf)の一部を抜粋したものになります。その後、その続きを考えたいと思います。)

ある人の人生をその人の行為の全体だとしよう。このとき、ある人の人生の意味は、その人の行為全体の意味である。

ふつう行為の意味とは、行為を行うより上位の目的である。より上位の目的は、多くの場合は、別の行為である。ある人の人生の意味とは、その人が人生をかけて行ってきた行為全体のより上位の目的のことである。

例えば、ある人が、子供に財産を残そうと意図してお金を貯えて、財産を残して死んだとすると、子供がその財産を相続することが、彼女の人生のより上位の目的であり、人生の意味である。

例えば、ある人が、環境保護のための運動をおこなったとして、彼女の人生の目的は地球環境の保護であり、それに貢献できたとすれば、それが彼女の人生の意味である。

 人生の意味は、その人が、その人の行為の全体によって引き起こそうとしている出来事である。その結果は、他の人(や集団や社会)に生じる出来事である。復讐が人生の目的の場合もありうるので、その結果が他の人にとって良いこととは限らないが、多くの場合には、他の人にとって良いことであり、それを惹き起こすことが、人の人生の意味である。

 もしこの答えに満足できないとすると、それは個人主義のためであるかもしれない。<ひとは、個人として他者から独立して存在しており、対他者関係はその本質ではない>と考えるならば、<個人の生きがいや人生の目的も、他者との関係から独立して存在するはずだ>と考えることになるからである。