14 指示と自由 (reference and freedom) (20230904)

[カテゴリー:自由意志と問答]

前の個所(11回から13回まで)では、<選択の不可避性が選択を可能にするということ>(ある種の制限が自由を可能にするということ)を説明してきました。

これと同様のメカニズムで、<指示の不可避性が、指示を可能にすること>が言えると思います。まずこれを説明します。「Xさんの車はどれですか」という問いに対して、指差し行為をともなって「あれです」という発話が行われたとしましょう。これは、典型的な指示行為です。

「あれです」がこの状況で語られたら、それは「Xさんの車はどれですか」という問いの答えであると、そこにいる人々(話し手、聞き手、観客)に予想するでしょう。そこにいる人々は、「あれです」は「Xさんの車」の指示対象を指示していると予想するでしょう。そのような状況で、「あれです」と発話することは、何らかの対象を指示することになります。そして、聞き手は、その状況で、「指差しの方向に存在して、<Xさんの車>と見なすのにもっとも適切な対象は何か」と自問して、「あれを、指示しているのだ」と自答することでしょう(もしそれができなければ、「どれですか?」と問い返すことでしょう。)

このような状況において「あれです」で、対象を指示することは不可避ですが、しかし同時に、指示が不可避な状況において、初めて指示が可能になるのです。ある発話で対象を指示していることが、可能になるのです。

これを一般化するとつぎのような定式になります。

「○○が不可避な状況において、初めて○○が可能になる」

この○○には、選択、自由な行為、指示、主張、コミットメント、約束、命令、宣言、などが入ります。これらは、すべて自由な行為です。