119 再説:特定科学の公理体系は、観察文とどう関係するのか (Restatement: How does the axiom system of a specific science relate to observation statements?) (20240520)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

前々回に次のように書きました。

<私たちは、理論文にもとづいて、観察文(初期条件)から観察文(結果)を予測する。その予測された観察文を、現実の観察文でチェックする。このチェックに基づいて、理論文を維持したり修正したりする。これを繰り返すことによって、安定した理論文を得て、最終的にそれを公理系にまとめる。>

この説明を変える必要はないのですが、カルナップの『物理学の哲学的基礎』に依拠して、特定科学の公理体系と観察文の関係をもう少し詳しく考えたいと思います。

*「観察可能なもの」と「観察不可能なもの」の区別

 カルナップは「観察可能なもの」と「観察不可能なもの」の区別は、哲学者と科学者によって異なると指摘します。哲学者は、例えば、摂氏80度の温度とか、93.5ボンドの重さを観察可能なものとは考えません。なぜなら、それらは直接的に知覚できないからです。直接的に知覚できるのは、水銀柱が80のメモリを指していること、秤の針が93.5を指していることなどです。これに対して、科学者は、簡単な手続きで測定できるこれらの量を観察可能なものと考えます。

 「観察可能なもの」と「観察不可能なもの」の区別は哲学者と科学者にとってこのように異なるのですが、しかし、どちらにとっても、この区別は明確に線引きできるものではなく、暫定的なものです。カルナップは、「この連続体を区分するどんな鮮明な線も引くことはできない」(カルナップ『物理学の哲学的基礎』(沢田充茂、中山浩二郎、持丸悦郎訳、岩波書店、1968、p. 232)と言います。彼によれば、哲学者にとっても科学者にとっても「観察可能なものと観察不可能なものとを区別する線は、高度に恣意的である」(同所)。

 この区別に基づいて、カルナップは「経験法則」と「理論法則」の区別を次のように導入します。

*「経験法則」と「理論法則」の区別

「経験法則は感覚によって直接的に観察可能であるか、あるいは比較的簡単なやり方で測定しうるか、そのいずれかの用語を含む法則である。」これは、「観察や測定によって見いだされた結果を一般化して獲得されたもの」(同所)です。例えば、「全てのカラスは黒い」「気体の圧力、体積および温度を関係づける法則」「電位差、抵抗および電流の強さを関連付けるオームの法則」などです。これらの経験法則は、「観察された事実を説明したり、未来の観察可能な事象を予測したりするのに使われる」(同所)ものです。

 これに対して、「理論法則」は、観察不可能なもの、「分子、原子、電子、陽子、電磁場や、そのほかの簡単かつ直接的方法では測定できないような諸存在者」(同訳、233)についての法則です。

「経験法則は観察された事実を説明し、また[観察可能であるが、まだ]観察されていない事実を予測するのに役立つ。同じようなかたちで、理論法則は、すでに定式化された経験法則を説明し、新しい経験法則の導出を可能にするのに役立つ」235

「経験法則は個々の事実を観察することで正当化できる。しかし、理論法則を正当化するには、それと対比できるような観察はすることができない。なぜなら、理論法則で言われている諸存在は、観察不可能なものだからである。」235

#反証主義あるいは予測誤差最小化メカニズム((the prediction error minimization mechanism))

理論法則は、「事実の一般化」ではなく、「仮説」である。理論法則から導出された経験法則の験証が、「理論法則の間接的な験証をあたえる」(同訳237)。つまり、理論法則は、経験法則によってテストされます。また経験法則も観察報告によってテストされます。これは、単称命題から全称命題を導出できないということ、また、観察報告には全称量化表現が含まれていないということのためです。

このような反証主義は、カテゴリー「人はなぜ問うのか」の49回~62回で論じた、ヤコブ・ホーヴィ(Hohwy)著『予測する心』(原著2013)(佐藤亮司監訳、太田陽、次田瞬、林禅之、三品由紀子訳、勁草書房,2021)の「予測誤差最小化メカニズム」に似ています。ポパーの反証主義は、この予測誤差さ最小化メカニズムの一部として理解できるだろうと思います。つまり、予測誤差最小化メカニズムが、理論法則と経験法則の間、経験法則と知覚報告の間、知覚報告と知覚の間、知覚と感覚刺激の間、などに働いていると考えることができます。 ところで、理論法則と経験法則をこのように関係づけるためには、「対応規則」によって理論語と観察語を結びつける必要があります。これについて次に論じたいと思います。語の意味についてのこの議論は、パラダイム論に関わってきます。