[カテゴリー:問答の観点からの認識]
概念の使用は、規則性をもち、それゆえにそこから規範性も生じるのですが、「概念」と区別されることが多い「直観」もまた規則性をもち、それゆえに規範性を持つだろうと推測します。これをどのように説明できるか、思案中ですが、ウィトゲンシュタインの次の発言を見つけました。彼は、数列について次のように述べています。
「数列のはじめは無限に敷かれた眼に見えない軌道の、眼に見える一部分なのだ、という考えがどこから来たのか。そう、規則の代わりにわれわれは軌道を考えることができよう。そして、際限なき規則の応用が無限に長い軌道に対応する。」(『哲学探究』§218)
鉄道の軌道をどこまでの伸ばすことを想像できるように、私たちは、数列をどこまでも伸ばすことができると彼は言うのです。ここで彼は、軌道の比喩によって、数列を考えているのですが、私たちは、数列の比喩によって、直線をどこまでも伸ばすことを考えられます。数列を続けることが際限なき規則の応用であるのと同様に、時間や空間上での延長もまた際限なき規則の応用だと考えられます。私達は、直線をどこまでも伸ばすことができますは、この反復は、直線を引くという規則の応用なのです。私たちは、線を引くことによって空間や時間を理解できます。つまり空間と時間の理解の中に規則性が含まれているのです。
「この直線をもっと伸ばすことができる」という考えの中には、「この直線をもっと伸ばすことができるはずである」という必然性の考えも含まれています。また「この直線をもっと伸ばすことができると考えるべきである」という規範性の考えも含まれています。これが正しいとすると、私たちが、時間空間の中で思考したり行為したりするとき、私たちはすでに規範性のなかにいるのです。
ここから、時間空間論をどう展開するかは、検討課題ですが、認識論を考えるときに、時間空間を考えることは基礎的な作業になるので、時間空間の規則性と規範性の考察は避けて通れません。 (最近思うのですが、現代社会は「分断の時代」に向かいつつあるような気がします。そこで社会の「分断」について、別のカテゴリーに移って少し考えたいと思います。ただし、規則遵守問題はそこにもつながっています。)