先週末見た綺麗な紅葉でした。
そろそろ話しをはじめたいと思います。
ここで「共有知」と呼びたいのは、個人が考えている知ではありません。それは個人を超えて複数の人が共有している知です。諸個人が同じ内容の知を持っており、各人の心ないし頭に同じ知が人間の数だけ反復して成立しているというのではありません。
複数の個人が一つの知を共有すること、内容が同一の知が、人間の数だけ存在するのではなくて、数的に一つの知がそこに存在しているという状態を「共有知」と呼びたいとおもいます。
「そんなバカな」というご批判は、私がそのように考える理由を説明してから、喜んでお伺いしますので、今しばらくお待ち下さい。