「生きましょう」
生きましょう。何があっても、とにかく生きましょう。
私はいま生きたいです。いつも生きていたいと思いたいです。
老人が増えて、若者が悲鳴をあげるとしても、とにかくできるだけ長く生きましょう。
病気が続いて、周りの人に迷惑をかけても、とにかく長く生き続けましょう。
長生きすることは、人に希望をあたえることなのです。
自殺したいと思っている人の思いはさまざまあるでしょう。
おそらく誰もあなたに死んで欲しいとは思っていません。
みんなが生きてほしいと思っているのです。
とりあえず、もっと生きましょう。
自殺した人を責めることは(誰にも?)できませんが、とにかく、もっと生きてほしかった。
自殺した人も、生きようとしたのでしょう。だから責めることはできません。
しかし、最後の最後に生きようとするのをやめてしまったのです。
だから最後は犬死です。
生きましょう。
そしてほかの人が生きるのを助けましょう。
せめて、人を殺すのはやめましょう。
死んだってかまわないと思う人、殺したいと思う人がいるかもしれませんが、しかし殺すのはやめましょう。
見殺しにするのもやめましょう。
戦争はやめましょう。
死刑はやめましょう。
とにかく、みんなでもっと生きましょう。
餓死してゆく人を見殺しにするのはやめましょう。
多くの難民を見殺しにするのはやめましょう。
みんなが生きられる社会を作りましょう。
もっと生きたいと思う社会を作りましょう。
生きるのが楽しい社会を作りましょう。
できるだけ長く生き続けましょう。
ところで、それに何の意味があるのでしょうか?
それはわかりません。
しかし、生きることがもし何か意味をもちうるとすれば、とにかく生きなければなりません。
よく生きるためには、まず生きなければなりません。
よく生きることが可能なら、少なくとももっと生きようとすることには、意味があるはずです。
死のうとすること、殺そうとすることには、何の意味もありません。
死のうとして死ぬことは、犬死です。
人は意味のない犬死を避け、意味のある死を求めます。
また、知人の死に意味を見つけようとします。
しかし意味のある死は、生きようとすることによって生まれるのです。
もっと生きようとした人の死には、きっと意味があるのです。
そして、たとえ意味がないとしても、生きるのです。
(君の命日に)