私はあなたに話しかけています

       

前述の認識論的個人主義者からの反論を一旦受け入れて、「相互承認」関係に依拠した、認識論的個人主義への批判の有効性については(まだあきらめていないのですが)一旦留保して、別の面から批判を試みたいと思います。
 
ここで対話の相手の存在認識についての認識論的個人主義者の同様の議論を構成してそれを反論したいと思います。

<私は「あなたが存在している」と想定しています。もちろん、それが私の想定に過ぎない可能性はあります。なぜなら、私は、私の認識の外部に出てゆけないからです。しかし、単なる想定ではなく、実際にあなたが存在することもまた可能です。もちろん、それもまた私個人の想定になりますが、しかし、この想定には矛盾したところはないと思います。>

この議論は、相手「あなた」に話しかけています。「私は存在しない」と言う発話は、周知の語用論的矛盾ですが、「あなたは存在しない」という発話もまた、語用論的矛盾ではないでしょうか。まず、「私は存在しない」が語用論的矛盾になる、ということを確認しておきましょう。
「私は存在しない」と私が発話するとき、
  
   発話行為の事実<私が発話する>と
  発話内容「私は存在する」

が矛盾しています。
これと同様に、「あなたは存在しない」と私があなたに話しかけるとき、

   発話行為の事実<私があなたに話しかける>と 
   発話内容「あなたは存在しない」

が矛盾しています。

もしそのようにいえるとすれば、上の議論の冒頭の部分の発話

  「私は『あなたが存在している』と想定しています。もちろん、それが私
   の想定に過ぎない可能性はあります。」

これは、矛盾しています。なぜなら、この二つ目の文の発話は次のような発話になるからです。

  「あなたは存在しないかもしれない」
あるいはこれをさらに言い換えると、
  「私はあなたに話しかけていないかもしれない」
となります。これらをあなたに話しかけるとき、

  発話行為の事実<私があなたに話しかける>と
  発話内容「あなたは存在しないかもしれない」あるいは
      「私はあなたに話しかけていないかもしれない」

は矛盾しています。

これに対して、認識論的個人主義者はどう反論するでしょうか。

 

投稿者: irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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