「すっぱいブドウ」か「八つ当たり」

    冬の味覚(?)ほっけ、です。

BさんがAさんから不当な不利益を与えられたとき、Bさんはそれに対して怒るだろう。その怒りは、正当である。なぜなら、不当な事柄に敵意をもつこと正当なことだからである。(1月26日に述べたように、この敵意からBがAに仕返しすことが、正しいかどうかは、別問題である。)
ここでは、BさんはAさんに仕返しをしたいと考えるとしよう。しかし、それにもかかわらず、BさんがAさんに仕返しをしないとすると、それにはどのような場合がありうるだろうか。

①BさんがAさんへの仕返しを悪いことだと考えて、思いとどまる場合。
②もしAさんに仕返しをすると、Aからさらに酷い仕返しをされることが予想されるので、思いとどまる場合。
③もしAさんに仕返しすると、犯罪者として国家に罰せられることになり、その不利益が大きいので思いとどまる場合。
④Bさんが直接にAさんに仕返しするのではなく、国家に罰してもらったり、別の人に罰してもらったりすることによって、間接的に仕返しをしようとするとき。

Bさんが、Aさん以外の人に「八つ当たり」しようとするのは、素直に考えるならば、②の場合だろう。
①の場合には「仕返し」を悪いことだと考えるので、「八つ当たり」も悪いことだと考えて、思いとどまるだろう。③の場合には、もし国家がAを罰したならば、Bは満足するだろう。もしそれで満足できないときには、BはAに仕返ししようとするだろう。
④間接的に仕返しできたならば、Bは満足するだろう。

②の場合、Bさんはどうするだろうか。
一つは、その怒りを他の人に向ける「八つ当たり」の場合。
もう一つは、「すっぱいブドウ」という合理化、つまり手に入らなかったブドウについて、それは「すっぱいブドウ」だから、ほしくないと考えるという場合である。この場合には、Aへの「仕返し」について、それは「悪いこと」であり、すべきではないと考えることになる。これは結果としてのは、①と同じ反応になる。