八つ当たりも仕返しだ

       冬の味覚? 湯豆腐です。
       ちまちました湯豆腐のような議論になってしまいました。

「八つ当たり」について考えよう。
「人以外の動物も八つ当たりするのだろうか?」
人以外の動物も、ストレスをかけられたときには、ほかの対象へ攻撃を向けて、ストレスを解消しようとすることがあるかもしれない。しかし、ここで考えたいのは、そういった生理的な反応と考えることもできるような「八つ当たり」ではない。

「人はなぜ八つ当たりするのだろうか?」
「八つ当たりしている人に、なぜ八つ当たりするのか」と問えば、おそらくその人は、「相手にうらみはないが、しかし社会(や会社や学校など)が悪いからだ」と答えるのではないだろうか。この場合には、「八つ当たり」は、社会に対する「仕返し」として正当化されている。Bさんは、Aさんから受けた不当な不利益を「社会から受けた不利益」として解釈し、それを社会の一員である別のCさんに対して「社会に対する仕返し」としてお返しする。Bさんは、AさんとCさんを「社会」の一員とみなし、自分はその社会と対立していると考えている。

このことは、「恩おくり」についても同様に成り立つ。Aさんから恩を受けたBさんが、Cさんに恩送りをするとき、「なぜそうするのか」と問われたならば、Bさんは、「社会に対する恩返しです」と答えるのではないだろか。Bさんは、Aさんから受けた恩を「社会から受けた恩」として解釈し、それを社会の一員であるCさんに返しているのである。Bさんは、AさんとCさんを「社会」の一員とみなし、その社会に「恩返し」したのである。

「人はなぜ八つ当たりするのか?」の答えは、「社会に仕返しするためである」となる。悪意の発生のメカニズムを「仕返し」と「八つ当たり」に分けたが、最終的には、「仕返し」に還元されそうである。

(なんだか、ちっとも話がすすまなくて、すみません。)

「人はなぜ仕返しするのだろうか?」