05 二段階のシミュレーション?

(シュミレーションではなくて、シミュレーションでした。なぜか昔から間違えます。失礼しました。)

トマセロは、共同注意が成立するまでの段階を次のように大きく4段階で考えているといえるだろう。(トマセロは、4段階とは言っていない。これは私の解釈である。二段階のシミュレーションというのも、私の解釈である。)

第一段階:生まれたときから赤ちゃんは他者を「自分に似ている」と理解している。(この指摘自体は、Meltzoff and Gopnik (1993)The role of imitation in understanading persons and developing a theory of mind (コーエン、フラスバーグ、コーエン編『心の理論』田原俊司監訳、八千代出版、下巻、16章)にある。しかし、トマセロは、心の理論に反対のようである(Cf. p. 94)。この点は、いつか問題にするかもしれない。)
「ヒトの赤ちゃんは、個体発生の非常に早い時期から他の人間と同一化するということ、そしてこれはヒトに固有な生物学的遺伝に基礎がある。」99「それが社会的な環境との長期にわたる相互作用を必要とするかどうかについては分かっていない」99

第二段階:(生後七、八ヶ月)赤ちゃんが自分を出来事を起こすことの出来る存在であると理解する。そして(シミュレーションにより?)他者もまたそのような存在だと理解する。「赤ちゃんが自分自身を、なにやらよくわからないやり方で出来事を起こさせる能力をもった有生の存在としてのみ理解している間、つまり生後七、八か月程度の期間は、他者に対してもそのような理解をしている。」(p. 100)

第三段階:自分を意図をもつ存在だと理解する。そして(シミュレーションにより?)他者もそのような存在だと理解する。「赤ちゃんが自分自身を意図をもつ主体と理解し始めると、すなわち自分が目標を持ち、その目標が手段となる行為とははっきり区別されるということを認識し始めると、つまり生後八~九か月になると、他者に対してもそのような理解の仕方をするようになる。」(p. 100)

この第二段階と第三段階の区別は、重要である。
トマセロは、二種類の他者理解を区別する。「自己運動と力の源としての他者、つまり有生の存在という他者理解」と、「行動および知覚に関して選択を行う存在としての他者、つまり意図をもつ存在という他者理解」の区別である。前者が、第二段階の他者理解であり、後者が第三段階の他者理解である。

以上をまとめると、次のようになる。

1:自分と他者は似ている。
2-1:自分は出来事を起こすことができる原因である
2-2:「自己運動と力の源としての他者、つまり有生の存在という他者理解」
3-1:自分は意図をもつ存在である。
3-2:「行動および知覚に関して選択を行う存在としての他者、つまり意図をもつ存在という他者理解」
4:共同注意

トマセロは、2-1から2-2への移行と、3-1から3-2への移行が、シミュレーションになると考えている。
(3から4への移行は、シミュレーションでは説明できないはずであり、そこの説明が抜けているのだが、いまはまだそれを問わないことにしよう。)

まず問題にしたいのは、もしこのようなシミュレーションが行われるのだとすると、2-1が2-2に先行し、3-1が3-2に先行するはずである、という点である。。この点に対しては、すでに反論があり、その反論にトマセロが答えているようなので、次にそれを確認しよう。