橋本努の「問題主体」について

 
 
 
橋本努の「問題主体」について

 「問答としての人格」という書庫のタイトルをみて、橋本努の「問題主体」という概念を想起したひともいると思います。

 

 (私はずいぶん前から問答の考察が重要だと考え、その観点からさまざまな哲学テーマを論じなおしたいと思ってきました。ですから、橋本努の「問題主体」論に出会った時には、虚を突かれた感じがすると同時に、そのアイデアを自分もまた展開してみたいと思いました。しかし、私の研究は、いまだに理論哲学の領域で問答の観点を生かそうとすることだけで、手一杯です。これでは、いつになったら本格的に実践哲学についての論じられるのか、わかりません。そこで、とりあえず、このブログでそれを試みたいと思うのです。)
 
 橋本努は、『社会科学の人間学』の中で、「価値」をコアにする「近代主体」概念に代えて、「問題」をコアにする「問題主体」概念を提案します。これは、私にとって非常に啓発的なアイデアでした。ただし、現在私が考えたいと思っている「問答としての人格」は、内容的に橋本努の「問題主体」とは、ズレてきているかもしれません。(このズレについては、いずれまとめて検討したいとおもいます)。また問題意識も少し違うのかもしれません。なぜなら、ウェーバー研究者ある橋本は、「問題主体」を人格理念とか理想として提案しているようにみえるからです。私の以下の考察には、<あるべき人格像や、あるいは現実の人格を理解するための一つの理念型>を構想するという問題意識はありません。現実の社会で「人格」と呼ばれているものがどのようなものであるかの考察を目指しているだけです。
 
橋本努の「問題主体」については、上記の本を、またとりあえずは、
橋本さんご自身による自著の紹介のテキストをご覧ください。
大変面白いです。