文化をグローバル化するとはどういうことか(2)

             
 
          世界中のホテルの朝食に登場するケロッグ
 
 
08 文化をグローバル化するとはどういうことか(2) (20121019)
 
マクドナルドが、グローバルであるのは、それがたこ焼きよりも、より普遍的に受け入れられる味をしているからではないでしょうし、より優れた味をしているからでもないでしょう。それはアメリカンライフスタイルのグローバル化の一部を担っているのでしょう。つまり、(あいまいな言い方ですが)政治的経済的要因のためだと思われます。
 
 食文化も文化ですから、文化のグローバル化には、このような側面があります。では、それだけでしょうか。どの文化がグローバル化するのかは、政治的経済的要因だけで決まるのでしょうか。
 前回、「現代論理学や現代の言語学がグローバルなものであると言えるとすれば、・・・」と書きました。そのとき考えていたのは、現代論理学、現代言語学、現代自然科学などは、グローバルだということです。西洋起源の自然科学は、グローバルに通用しています。つまり、世界中でそれらの研究と教育が行われています。政治的経済的要因だけでによるのでしょうか。
 クワインならば、現代の物理学とギリシャ神話が、世界の説明としてはどちらがすぐれているかを、理論的に決定できないというでしょう。つまり、理論としての、あるいは学説としてのある優れた性質(かつてウェーバーが、西洋文化は普遍性をもつと考えていたような意味の「普遍性」のような性質)が、グローバルな理論とそうでないものを分けているのではないということです。クワインは、複数可能な理論の中から理論を選ぶときには、(正確な表現を忘れましたが)プラグマティックな関心で理論を選択するしかないといいます。
 
 もしプラグマティックな関心から文化の選択が行われているとすると、文化をグローバル化するとは、
  ①ある文化の有用性をグローバルに知らせること
    (寿司のおいしさを宣伝すること)
  ②ある文化を、グローバルな有用性をもつように変化させること
    (寿司がよりグローバルな有用性を持つように変化させること)
 
文化の変容にかかわるのは、②です。
・社会学でいえば、ある一つの国家をあつかう研究よりも、グローバルな社会を扱う研究のほうが、グローバルな有用性を持ちます。
・文学研究で言えば、ある言語の文学をあつかう研究よりも、世界の多様な言語の文学を扱う研究の方が、グローバルな有用性を持ちます。
 
では、ある言語共同体のメンバーにとって、自分の言語共同体の文学を扱う研究と、世界の多様な文学を扱う研究は、どちらが有用性を持つでしょうか? これの答はつぎのようになるでしょう。自分の言語共同体の文学が、世界の多様な言語の文学よりも有用であれば、それの研究が、世界文学の研究よりも有用である。もし逆ならば、逆である。
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では、自国文学と世界文学とどちらが重要でしょうか? もし人が外国語の文学を外国語で楽しむことが難しく、翻訳で楽しむのだとすると、世界文学とは翻訳文学であることになります。
では、自国文学と翻訳文学のどちらが有用でしょうか?
(話があらぬ方向に向かっているのでしょうか。それともこれでよいのでしょうか。)
                               
 
 
 
 
 

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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