02 仏教の根本問題

02 仏教の根本問題(20150602)

・仏教の特徴は、無我(anātoman, not-self)を主張することである。

・仏教のその他の思想の多くは、当時のインドで一般に認められていたことである。人が死と再生を繰り返すという輪廻(Samsara)の思想も、輪廻転生は、天・人・餓鬼・畜生・地獄の五道、ないしこれに修羅を加えた六道のいずれかに変わるという思想も、何に転生するかは業(karma)(道徳的行為)によって因果的に決定するという思想も、仏教以外のインド思想にも共通のものである。

・しかし、この「無我」から問題が生じる。「もし自我が存在しないのならば、何が輪廻転生するのか」という問題である。ジャイナ教は、仏教に対してこの点を批判した。仏教にとっての根本問題だと思われるは「輪廻転生の主張と、無我の主張が矛盾するように見える」ということである。

・この根本問題はもちろん、輪廻転生を認めなければ生じない。そして現代人にとって、輪廻転生は荒唐無稽な思想である。(それは私たちが西洋近代に登場し発展した自然科学を認めているからである。西欧近代以後の自然科学を知らない当時のインドの人々にとって、輪廻を理論的に批判することは難しいだろう。例えば、身体の死とともに心もなくなると私が考えるが、しかし自然科学を知らなければ、身体の死後心がなくなることを説得ことは難しいだろう。したがってそれが転生する主張を批判することも難しいだろう。)

・しかし仮に輪廻転生と六道の話を取り除いて、縁起を現世の中だけで考えるとしても、やはり次のような問題が生じるだろう。「縁起の説明、たとえば煩悩による苦の発生の説明は、無我の主張と矛盾するようにみえる」ということである。

・「無我」や「空」の概念は、東アジアの人間にはなじみのものである。しかし、それらを理解することは非常に難しいことであるし、私たちはまだその明確な理解を手にしていないように思われる。仏教の歴史は、「無我」や「空」の概念を受け入れたうえで、それについての整合的な理解を作り上げようとする試みであったと言えるのかもしれない。そして、それはひょっとすると、まだ最終的にうまくいっていないのかもしれないし、うまくいかないのかもしれない。ひょっとする「無我」を認めなかったジャイナ教徒の方が正しかったのかもしれない。

・仏教徒たちがどのように理解しようとしてきたのかを、振り返りつつ、「無我」を整合的に理解できるかどうか、検討してみようう。

 

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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