[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]
前回の目次にあるように、本書は序文、4つの章、後書き、から成ります。
第1章では、ブランダムの推論的意味論を紹介した後、それを改良した問答推論的意味論を提案します。
第2章では、命題の意味ではなく、ある文脈における命題の発話の意味について、それの問答推論関係から説明します。その前半は、発話が焦点を持つとはどういうことか、後半では、発話の含みについてのグライスと関連性理論の議論を紹介した後、それを改良した問答推論的語用論を提案します。
第3章では、オースティンとサールの言語行為を紹介したうえで、質問発話の特殊性を示して、発語内行為の分類を改良し、つぎに命題行為、発語内行為、発語媒介行為という言語行為の分類に「前提承認要求」という言語行為を加えることを提案します。
最後の第4章では、従来の論理的矛盾、意味論的矛盾、語用論的矛盾とは異なる「問答論的矛盾」があることを説明し、コミュニケーションが成り立つためには、この問答論的矛盾を避ける必要があることから、問答関係が成立するための超越論的条件があることを説明します。
より詳しい全体の見取り図は、「序文」の後半にあります。
序文の前半では、これまでの哲学は問いの答えにばかり注目して、問いそのものに注目することが少なかったことを指摘し、問いに注目することの重要性を訴えました。コリングウッドが指摘していたように、主張を理解するには、それがどのような問いに対する答えであるか、(答えの「相関質問」は何か)を理解することが必要です。したがって、答えの半分はすでに問いによって与えられています。答えは、問いに欠けている部分を埋めるだけなのです。問いは、答えの半製品なのです。
問いが答えの半製品であることは、発話の理解に限りません。社会制度は言語で構成されていますが、社会制度は、社会問題の解決策であり、社会問題への答えなのです。それは社会問題への答えとして正当化されています。個人の行為もまた、個人問題への解決です。個人は、その信念内容(主張内容)によってのみならず、その人が抱えている問題によって構成されています。
このように問いないし問題について考察することが重要なので、大胆にいえば、問答の観点から哲学全体を組み替えること、を大目標としています。
但し、本書は、言語哲学について、問答の観点からの見直しに挑戦するものです。