25 快苦と情動と探索 (20210115)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

まず、情動についての二つの補足説明をします。

1,肉体的快苦は、情動ではない。

 たとえば、肉体的苦痛である痛みは、さまざまな無条件反射を引き起こす。昏睡状態の人もまたそのような無条件反射を行うので、意識がなくても肉体的苦痛は成立する(cf. ダマシオ、前掲訳102)。(逆に言うと、全ての脊椎動物は、脊椎反射をするだろうが、それだけでは意識を持つとは言えないことになるので、全ての脊椎動物が意識を持つとは言えない。)

 痛みと痛みの情動的反応は、異なる。ダマシオはそれについての3つの証拠を挙げている。一つは、「有痛性チック」としても知られる難治性三叉神経痛の重い症状の患者の例である。その人は、顔にそよ風が当たるだけでも激痛を感じるそうだ。その患者の前頭葉の特定の部位に小さな傷をつける手術をする。「手術では、局部的な組織の機能障害に応じて三叉神経系から出されている感覚パターンには、ほとんど何も手をつけなかった。つまり、組織の機能障害の心的イメージは変わっていなかった。だから患者は「痛みは同じ」と言う。しかし「手術によって組織の機能障害の感覚パターンが生み出していた情動反応はなくなっていた。苦しみは消えていた。男性の顔の表情、声、全般的な振る舞いは、痛みと関係しるようなそれではなかった。」(同訳104)

 後の二つの証明は、催眠暗示や特殊な薬(β-ブロッカーやベイリウム)を飲むことによって、同じように「痛みはあっても、痛みによって引き起こされる情動は減じられる」(同訳105)というこが生

じるという例である。

 ダマシオは、肉体的快についても、それは情動ではないと述べている。おそらくは、催眠術や薬物を用いた例を挙げるができるだろう。しかし残念ながら、痛みの場合とはちがって、その具体的例証をあげてはいない。

2,快と苦のメカニズムの違いと、情動としての探求

苦痛と快の説明は興味深いのでそれを引用しておきたい。

「肉体的苦痛は、怒り、怖れ、悲しみ、嫌悪といった否定的な情動と結びつき、それらの組み合わせが「苦しみ」を構成するが、快は、喜び、優越感、そして肯定的な背景的情動と結びついている。」(同訳106)

ただし、この二つのメカニズムは、大きく異なるという。

「肉体的苦痛は、生体組織の局所的機能障害に対する感覚的表象の知覚である」(同訳106)

「有機体は特定のタイプの信号を使って、現実の、ありは潜在的な有機体の組織の健全性喪失に反応するようになっている。その信号伝達では、白血球細胞の局所的な反応から、手足の反射作用、具体的な情動反応にいたるまで、多くの化学的、神経的反応が動員される。」(同訳106

これに対して、

「快の場合、問題は有機体をホメオスタシスの維持に通じるような態度や行動へと向けることである。」(同訳107)

「苦は、少なくともすぐには他の損傷の防止にはつながらないものの、損傷組織の保護、組織修復の促進、傷の感染防止になっている。これに対して快は先見に関するものである。快は、問題が生じ「ない」ようにするためにできることは何かという、賢明な予測に関することである。」(同訳108)

ここで注目したいことは、快と探求との結びつきである。

「快は報酬と連携し、探求、接近といった行動と結びついている。」(同訳108)

「ふつう快は、たとえば低血糖や高オスモル濃度のような不均衡の検出からはじまる。そうした不均衡が空腹や渇きという状態を生み(これは動機的・欲求的状態としてしられている)、今度はそれが食べ物は水の探索と関係する行動(これもまた動機的欲求的状態の重要な一部)をもたらし、そしてそれが食や飲という最終行動をもたらす。…快の状態は、現実的な目標を期待するその探索プロセスの中で始まり目標が達成されると高まる。」(同訳106)

つまり、快は、ホメオスタシスの棄損という否定的な状態が、飢えや渇きという苦痛の状態を生みだすことを予見し、それを予防するために、餌や水の探索行動を生み出し、それを摂取してホメオスタシスの回復を生み出す、あるいはい棄損を予防するというプロセスの中で、快は、ホメオスタシスの維持に役立っている。快は、それを報酬とするオペラント行動を引き出し、その行動の中に探求も含まれるということである。

 「探求」は、肉体的快への反応(オペラント反応)であり、(ダマシオは明言してはいないが)探求は情動の一種とみなされている。

 次回は、情動と感覚の関係について説明する。(議論の紹介の都合上、しばらく引用が多くなりますが、ご容赦ください。)