40 心理的時間の流れについて (20210216)

[カテゴリー:人はなぜ問うのか?]

(クオリアの説明を取り上げると予告していましたが、その前に、前回疑問を呈した、時間の流れをどう認識するかという問題を検討しておきたいと思います。)

 前回、「認識のなかの時間」ないし「心理的時間」である「固有時」における同時性を、「相互作用同時性の原則」によって説明しました。つまりニューロンAがニューロンBの発火を引き起こすとき、Aの発火の物理的時刻t1とBの発火の物理的時刻t2は、「固有時」においては、同時であることになります。なぜなら、「認識のニューロン原則」により、心的内容はニューロン発火のパターンだけから説明される必要があり、ニューロン発火以外の出来事は、心にとっては存在しないからです。このような説明の後で、前回の最後に、この場合、時刻が異なることや、時間の経過をどのようにして説明できるのかが課題になると述べました。

 茂木は、『脳とクオリア』の第4章で、これについて次のように説明しています。

「①認識における「瞬間」、すなわち最小の時間の単位は、物理的時間で言えば、ある有限の幅(h)をもつ。」(同書131)

この最小の時間単位の大きさは、100ミリ秒程度となると言われています。これは、2つのニューロンを結合する軸索の長さから計算されています。つまり、ここでいう「最小時間の単位」とは、ニューロンAが発火してからBが発火するまでの物理的時間です。

「②時間の最小単位の存在にもかかわらず、その時間のずれは、任意に小さくすることができる。すなわち、ある認識におけるある「瞬間」τという場合には、必然的にそれは100ミリ秒程度の拡がりを持たなければならないが、このような「瞬間」をどれくらいずらして重ねあわせられるかということになると、その「ずれ」δτの大きさは、任意に小さくすることができる。」(同書131f )

「③隣り合う心理的な「瞬間」の間には、重なりがある。すなわち、τ1とτ2が隣接する心理的瞬間であるとすると、τ1とτ2が隣接する心理的瞬間であるとすると、τ1とτ2のあいだの差が時間の最小単位(h)より小さいとき、

  |τ1-τ2|<h

それぞれの心理的瞬間におけるシステムの状態Ω(τ1)、Ω(τ2)の間には、重なりがある。

  Ω(τ1)h∩Ω(τ2) ≠0」(同書132)

ここで私が問いたいのは、③でいう「隣り合う心理的な「瞬間」」はどのようにして可能になるのか、いいかえると、2つの瞬間が異なる瞬間であるとはどのようなことであり、それはどのようにして認識されるのか、ということです。

ニューロンA、B、Cがあって、Aの発火が、Bの発火を引き起こし、Bの発火が、Cの発火を引き起こすのだとすると、「相互作用同時性の原則」によって、Aの発火の時刻と、Bの発火の時刻は「固有時」においては同時になります(これをτ1とします)。同様にして、Bの発火の時刻と、Cの発火の時刻もまた「固有時」において同時になります(これをτ2します)。このとき、τ1=τ2となるだろうと、前回述べました。

 もしそうだとすると、ニューロンAの発火がもとになって間接的に生じするすべての発火が、「固有時」においては同時であることになります。これでは、不都合です。なぜなら、もしカエルを見てカエル・ニューロンが発火し、それによって、中学生の時のカエルの解剖の授業をおもいだし、それからその時の友達のことをあれこれと思い出しているとき、これらがすべて「固有時」において同時に生じていると思うことになってしまいますが、そういうことはないからです。カエルを見たことがきっかけになって、昔の友人を思い出したと考えているとき、カエルを見たことは、昔の友人を思い出したことに先行すると考えています。

 カエルを見ることと、昔の友人を想起することは、時間的に前後関係にあります。カエルを見た固有時の時刻をτ1とし、昔の友人を思い出した固有時の時刻をτnとするとき、τ1≠τnだと考えるのが合理的でしょう。

 茂木は、固有時の瞬間の重なりを考えているようです。τ1とτ2は少し重なっており、τ2とτ3も少し重なっており、というように重なりあう瞬間の系列を進むと、τ1とτnはもはや重ならない、ということが説明できるかもしれません。

 前述のニューロンA、B、Cの場合、それぞれの発火の物理的時間をta、tb、tcとし、Aの発火からBの発火までの固有時の時刻をτ1とし、Bの発火からCの発火までの固有時の時刻をτ2とするとき、τ1はtaからtbまでの幅を持ち、τ2はtbからtcまでの幅を持つと考えるならば、τ1≠τ2であり、τ1とτ2は前後関係を持つことになります。

 ここでA、B、Cをそれぞれ1個のニューロンとしてではなく、複数のニューロンのクラスターだと考える時、τ1とτ2は、前後関係にあるだけでなく、部分的に重なり合うと考えることができます。

 ただし他方では、τ1とτ2が部分的にせよ重なり合うのならば、「固有時」において同時であると考えたくなります。そうすると、τ1=τ2=…=τnとなってしまいます。このような反論に対しては、茂木ならば、「固有時」の「同時性」を、物理的時間での「同時性」と同じ性質を持つと考えてはならない、と批判するでしょう。この批判は正しいのかもしれません。ただし「固有時」における「同時性」概念の曖昧さは、残ります。

 もう一つ気になるのは、物理的時刻と固有時の時刻の対応付けです。茂木は次のような表現の仕方しています。

「「t=0」(ニューロンA)=

 「t=10ミリ秒」(ニューロンB)=

 「τ=0」(ニューロンA、ニューロンBに共通な固有時)」(同書105)

1行目と2行目の右端にある「=」はどういう意味になるのでしょうか。もしそれが同時性をあらわすのだとしたら、物理的時刻と固有時の時刻が同時であるというのは、奇妙である。これら2つは、異なる世界(物理的世界と認識の世界(ないし心的に表象されている世界)に属しているからです。もし、この「=」の意味を説明できなければ、固有時について考えることはできなくなるでしょう。いまのところ、課題を指摘する事しかできません。

 以上でとりあえず、時刻が異なることや、時間が経過するということが、どういうことであるかを説明しました、しかし、それらがどのようにして認識されるのか、の説明はできていません。この問題については、意識や認識について論じる時に取り上げることにします。

 次回は、クオリアの話に進みたいです。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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