[カテゴリー:問答の観点からの認識]
知覚を考察する前に、前回発言に二点補足させてください。
<補足1> レベル3(問答としての認識論)への補足。
前回は現象的認識についての「なぜ」の問答について説明しましたが、理論的認識についての「なぜ」の問答は、認識論一般ではなく、科学論を構成するでしょう。この場合の「なぜ」の問答もまた3種類あります。
①理論的認識の原因を問う「なぜ」の問答は、「自然化された科学論」になるでしょう。
②理論的認識を行う理由を問う「なぜ」の問答は、「プラグマティックな科学論」になるでしょう。
③理論的認識の主張の根拠を問う「なぜ」の問答は、「論理的科学論」になるでしょう。
<補足2> 一般的なことですが、問いに対する答えの違いは、もしその答えの違いから帰結することに重要な違いがないのならば、重要ではないでしょう。例えば、<Q2→Q1→A1→A2>という二重問答関係があるとき、問Q1の答A1の違いから帰結するのは、より上位の問Q2に対する答A2の違いです。
では、前回述べたような認識に関する問いへの答えの違いは、どのような違いをもたらすのでしょうか。
#レベル1の問いに対する答え(通常の認識)の違いは、(プラグマティズムが主張する)必ずその対象に対する行動に何らかの違いを惹き起こすのでしょうか。もしレベル1の問いのより上位の問いが実践的問いであるならば、レベル1の問いの答えの違いは、より上位の問いの答えの違い、つまり行動の違いを生み出します。他方、もしレベル1のより上位の問いが理論的問いであるなら、レベル1の問いの答えの違いは、より上位の理論的問いの答えの違いを生み出します。しかし、さらにより上位の問いが実践的問いであるならば、最初の理論的な問いの答えの違いが、より上位の理論的問いの答えの違いを生み出し、その違いがさらにより上位の実践的問いの答えの違いを生み出すことになるでしょう。理論的問いの上位の問いをさかのぼっていけば、つねに何らかの実践的問いに行き着くのだとすれば、あらゆる理論的問いの答えの違いは、程度の差はあれ何らかの行為の違いをもたらすことになるでしょう。
#レベル2の問いに対する答えの違いは、予測の違いを生み出すと思われます。レベル2の問答は、次のような、現象的認識についての「なぜ」の問いとその答えでした。
「なぜ、この花の色は黄色なのか?」
「なぜなら、この花は、カロチンをたくさん含むからです。」
この「なぜ」の問いは、原因の説明を求める「なぜ」の問いです。自然現象について「なぜ」と問う場合、その理由や根拠を問うということはありえないので、この場合の「なぜ」は常に、原因の説明を求める「なぜ」になります。では、自然現象の原因の説明を求める問いのより上位の問い(目的)は何でしょうか。自然現象の原因が分かれば、原因となる出来事と似たような出来事があれば、似たような結果が生じるであろうことが予測できます。また、その現象について理論的ない問いを立て、その自然現象についてさらに分析を進めることが可能になります。また他方では、予測をもとに、自然現象を阻止したり、変化させたりすることが可能になります。ここでのより上位の問いは、次のようなものになるでしょう。
・自然現象を予測すること(理論的問い)
・自然現象の原因について分析を進めるための問いを立てること(理論的問い)
・自然現象を予測して、自然現象を阻止したり、変化させたりすること(実践的問い)
最初の二つの問いは、理論的問い(たとえば「すべての黄色い花は、カロチンを多く含むのか?」という問いや、「カロチンは色素なのか?」という問いになるでしょう。後者の問いは、実践的な問い(例えば「この花をもっと濃い黄色にするにはどうすればよいのか?」という問い)になるでしょう。
(理論的認識についての「なぜ」の問いの場合を含めて、より詳しくは科学について考察するときに、取り上げることにします。)。
#レベル3に対する答えの違いは、どのような違いをもたらすでしょうか。レベル3の問いは「なぜ」の問いであり、その答えは推論となる。「なぜpなのか」の問いの場合には、「…ゆえに、p」というpを結論とする推論となります。
一般的に(つまり認識論に限定せずに)考えて、原因、理由、根拠に関するこのようなpの上流推論の違いから何が帰結するでしょうか。おそらくより上位の問いの答えの違いが帰結するでしょう。では、「なぜ」の問いのより上位の問いは、一般的にどのようなものになるのでしょうか。たとえば、原因の説明を求めて「なぜ」と問うのは、一般にどのような場合でしょうか。それは、レベル2の問答について考察した場合を含めて、次のようになるでしょう。
・出来事を予測すること(理論的問い)
・出来事について分析を進めること(理論的問い)
・出来事を予測して、自然現象を阻止したり、変化させたりすること(実践的問い)
では、行為の理由の説明を求めて「なぜ」と問うのは、一般にどのような場合でしょうか。それは次のような場合です。
・行為を理解するため
・理由を理解して、次の行為を予測するため。
・次の行為を予測して、それを支援したり、妨害したりするため。
・行為の理由を理解して、さらにより上位の理由を理解する(問う)ため。
では、主張の根拠の説明を求めて「なぜ」と問うのは、一般にどのような場合でしょうか。それは次のような場合です。
・主張を証明するため。
・主張を証明して、その主張から何が帰結するかを予測するため。
・その主張から何が帰結するかを予測して、その主張に反論するため。
以上は、「なぜ」の問いのより上位な問いがどのようなものになるかを一般的に考察したものですが、認識行為についての「なぜ」の問いのより上位の問いの場合も、同様のものになるだろうと思います。
(<「なぜ」の問いのより上位の問い>については、これまで主題的に考えたことがなかったので、今回の考察は非常に暫定的なものです。今後、修正改良することになると思います。)
次回から知覚と知覚方向について考えます。