39「分析的」と「P-妥当的」 (20210802)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

#カルナップによる「分析的」と「P-妥当的」

カルナップは『論理的構文論:哲学する方法』(原著1934)では、真なる文を次の3つに区別していました。

「分析的」(L-妥当的):論理学と数学の規則(L規則)だけが理由で真であるような文。

「P-妥当的」:物理法則(P-規則)とL規則が理由で真であるような文

「事実的」:事実によって真であるような文

前回述べたように、カルナップが「擬似対象文」と呼ぶものには、「分析的」なものと「P-妥当的」なものがあります(後に述べますが、これら以外のものもあります。)

その例は、次のようなものです。

実質様相の発話         形式様相の発話

6 a. The expressions ‘merle’ and ‘blackbird’ have the same meaning (or : mean the same ; or : have the same intensional object). 表現「マール」と「クロウタドリ」は同じ意味を持つ6 b. ‘Merle’ and ‘blackbird ‘are L-synonymous. 「マール」と「クロウタドリ」はL-同義である。 {これは、分析的}
7 a. ‘Evening star’ and’ morning star’ have a different meaning, but they designate the same object. 「宵の明星」と「明けの明星」は異なる意味を持つが同じ対象を表示する。7 b. ‘Evening star’ and ‘morning star’ are not L-synonymous, but P-synonymous. 「宵の明星」と「明けの明星」はL-同義ではないが、P-同義である。 {これはP-妥当的}

(Carnap, Logical Syntax of Language, 1937, Reprinted 2002 by Routledge,290)

6の「マール」と「クロウタドリ」は、どちらも一般名(自然種名)ですが、同じ種を指示する語のようです。従って、これらが同義であることは、語の意味論的規則に基づいて成り立つ分析的な真理となります。これに対して7の「宵の明星」と「明けの明星」は、同一対象を指示する単称確定記述句です。それらの指示対象が同一になることは、世界のあり方に依存する事なので事実的真理なのですが、単に事実的真理というのではなくて、さらにP-妥当的とみなすということは、太陽系における第二惑星(金星)と第三惑星(地球)の天文学的な位置関係から、金星が「宵の明星」や「明けの明星」として見えることが、自然法則によって説明出来るということなのでしょう。

擬似対象文には、このように分析的に真なるものとP-妥当的に真なるもの以外に、単に事実的に真なるものも含まれます。カルナップの挙げている例では、次のようなものがあります。

「昨日の講義はバビロンについてだった」(実質様相の発話:擬似対象文))

「昨日の講義には、語「バビロン」が登場した」(形式様相の発話:構文論的文)

以上をもとに、「世界は無矛盾である」について考察しましょう。

#「世界は無矛盾である」は、擬似対象文である

私たちが世界を記述するときに採用する論理体系が無矛盾であるとすると、「世界の記述は無矛盾である」が成り立つでしょう。ところで、「世界に矛盾は存在しない」は、擬似対象文であり、構文論的文に直したものは「世界の記述は、無矛盾である」とまります。これは論理的に真なる文であり、分析的に真です。しかし、論理的な文は、世界のありようについては、何も語っていません。

ちなみに、カルナップはこの時期には「分析的」に真としていたものを、後には(遅くとも『物理学の哲学的基礎』1966では)、「L-真」(論理的に真)と「分析的に真」(A-真」)に分けます。L-真なものとは、論理的な規則のみによって真であるものであり、分析的に真とは、「独身者は、結婚していない」のように意味論的規則と論理的規則によって真であるものを指します。つまり、分析的に真なるものは、L-真なるものを含むより広い概念です。(この変化は、これはクワインの影響だと思われます。)

 ところで、カルナップは、この意味論的規則を「意味公準」とか「A-公準」とか「分析公準」と呼びます。例えば次のようなものがあります。

  A1「すべての鳥は動物である。」

  A2「すべての赤頭キツツキは鳥である」

A-公準は、擬似対象文であり、分析的に真なるものです。これについて、カルナップは次のように言います。

「A-公準は実際の世界について何かを語っているように思われるかもしれないが、そうではない、ということである。」(カルナップ『物理学の哲学的基礎』沢田充茂、中山浩一郎、持丸悦朗訳、岩波書店、1975、270)

L-真なるものや、A-真なるものは、事実によって真となるのではないので、それは事実について何も語らないのです。(これはすでにウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で述べていたことです。)

では、「世界は斉一的である」はどうなるのでしょうか。